「柔和で高ぶらない人は幸いです。全世界はそういう人のものだからです。 」(マタイの福音書 5:5 JCB)
『かばいマンとふしぎなまち』
ある日、やさしい心をもつヒーロー「かばいマン」が、いろんな人が集まる“ふしぎなまち”にやってきました。この町では、ちょっと変わった人や、うまく話せない子、すぐ怒ってしまう人など、みんなが少しずつ違っていて、時々ぶつかってしまいます。
でも、かばいマンは誰のことも「ダメ」とは言いません。転んだ子には「大丈夫、ゆっくりでいいよ」と手を差し伸べ、怒っている人には「きっと悲しいことがあったんだね」とそっと寄り添います。みんなが「どうしてそんな人をかばうの?」と聞くと、かばいマンはこう言います。
「どんな人にも、かばってほしい時があるんだよ。」
やがて町の人たちは、かばいマンのように、相手の気持ちを想像するようになり、少しずつやさしい町に変わっていきました。
かばいマンは、誰に対しても怒らず、見下さず、静かに寄り添い、相手の痛みや弱さを受け止める存在です。
つまり、かばいマンの姿は、イエスさまが語られた「柔和な者」の生き方そのもの。彼のように、誰かをかばい、裁かず、静かに寄り添う心が、神の御国の価値観をこの地にもたらすのだと思います。
「柔和で高ぶらない人は幸いです。全世界はそういう人のものだからです。 」(マタイの福音書 5:5 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「こう祈った時、集まっていた家が激しく揺れ動き、一同はたちまち聖霊に満たされて、大胆に神の教えを語り始めました。 」(使徒の働き 4:31 JCB)
祝ペンテコステ!主の御名を讃美します。
ペテロとヨハネは、イエスさまのお名前によって足の悪い人を癒した奇跡を行ったことでユダヤの宗教指導者たちに逮捕されましたが、聖霊さまによって彼らは恐れることなく福音を宣べ伝え続けました。
教会で一致して祈ることはとても大事なのです。上記の直前では、弟子たちが一致して祈り、神さまに大胆に語る力を求めました。
その結果、彼らが集まっていた場所が揺れ動き、聖霊さまに満たされ、さらに大胆に神さまの言葉を語るようになったのです。すごいですよね。
これは、神さまの力が彼らの信仰を強め、困難の中でも福音を広める使命を果たすことを可能にしたことを示しています。恐れからも自由にされますお助けマンである聖霊さまを、感謝して覚えましょう。見えない神さまの愛と恵みに感謝いたします。
「こう祈った時、集まっていた家が激しく揺れ動き、一同はたちまち聖霊に満たされて、大胆に神の教えを語り始めました。 」(使徒の働き 4:31 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「神にも人にも喜ばれ、 正しい判断力と英知を得たいなら、 とことん主に信頼しなさい。 決して自分に頼ってはいけません。 何をするにも、主を第一にしなさい。 主がどうすればよいか教えてくださり、 それを成功させてくださいます。 」(箴言 知恵の泉 3:5-6 JCB)
主に信頼するとは、信頼することについて考える必要がありますね。
あなたは、何を頼りにしていますか。普通に考えたら間違いなく確かなものに頼りたいのではないでしょうか。なぜなら不完全で不確かなものに頼りたい人はいないでしょう。
自分に頼るとしたら、まず自分を知らないと頼れないでしょう。自分に頼ると自分の都合が第一になります。だから自分に都合悪くする人は尊重しないみたいになり、かなり狭い視点の世界観になってしまうのではないでしょうか。自分は不完全だからです。
神さまに信頼する人は、十字架の愛に触れることです。完全な御方が不完全を包み込んでこんな自分をも愛してくださいますことが救いだからです。神さまに信頼することは神さまの愛に信頼することと同じです。愛は自分の都合からも自由にするからです。あなたは自由なのです。とことん主に信頼しましょう。神さまは完全だからです。
「神にも人にも喜ばれ、 正しい判断力と英知を得たいなら、 とことん主に信頼しなさい。 決して自分に頼ってはいけません。 何をするにも、主を第一にしなさい。 主がどうすればよいか教えてくださり、 それを成功させてくださいます。 」(箴言 知恵の泉 3:5-6 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう、あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
『あなたがたが、これらの困っている一番小さい人たちに親切にしたのは、わたしにしたのと同じなのです。』 (マタイの福音書 25:40 JCB)
困っている一番小さい人とは、どんな状態でしょうか。今まで、あなたにもどうにもならないくらいに困ったことがあったのではないでしょうか。
そのような時、無視されたり、さらに追い打ちされたら、どんな気持ちになるでしょうか。救いのない絶望感でいっぱいになるでしょう。
十字架にかけられたイエスさまの気持ちが少しわかるのではないでしょうか。すべてをわかってくださいます神さまが、十字架にかかってでも寄り添って一緒にいてくださいますことは救いなのです。
まして、イエスさまを十字架にかける側にいたわたしたちのためにも、イエスさまは見捨てないで、愛と恵みを注ぎ続けてくださいます。わたしたちが本物の愛と救いに気づいて同じように温もりを持ち運ぶようになるためですね。
『あなたがたが、これらの困っている一番小さい人たちに親切にしたのは、わたしにしたのと同じなのです。』 (マタイの福音書 25:40 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「悪意のこもったことばを口にしてはいけません。相手の益となり、助けとなること、また祝福を与えることだけを話しなさい。 」(エペソ人への手紙 4:29 JCB)
「売り言葉に買い言葉」とは、相手の攻撃的な言葉や挑発的な発言に対して、感情的に反応し、同じように攻撃的になってさらに強い言葉で返してしまうような態度ですよね。
しかし、そのような時こそ、「受理言葉に愛言葉」で冷静に対応することで不要で不毛な対立を避けることができます。
そのためには、まず神さまに心を向けることが必要です。イエスさまの十字架の愛に心を向けることが大事なのです。自分が赦していただいたように赦すことができるように祈りましょう。
神さまはお助けマンである聖霊さまによって、わたしたちに聴く耳を与えてくださいます。
相手の見た目の言動に惑わされないように、何がそうさせてしまうのか、心の声に聴くことができるのです。温もりの視点を広げていただきましょう。
「悪意のこもったことばを口にしてはいけません。相手の益となり、助けとなること、また祝福を与えることだけを話しなさい。 」(エペソ人への手紙 4:29 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。