本日の聖書 マタイによる福音書15章29〜30節
イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。
宣教題 「一緒に行こう」
主イエスは山に登って、「大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人」 が登って来るのを待っておられた。病気の人にとって山を登るというのは大変な作業です。何で山に主イエスは登られたのか。
30節「大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て」すなわち人々は、自分のことだけを考えて、我先にと主イエスのところに来たのではなく、体の弱い人、ハンデを持った人を一緒に連れてきたのです。そして、「イエスの足もとに横たえた」のです。
人々は、そのように、自分の力では山を登ることが困難な人を助け、あるいは背中におぶり、あるいは手を取って道案内をし、あるいは板に載せて「一緒に」連れてきたのです。わざわざ山に登ったのは、病気を癒すだけではなく、愛を学ばせるためだったのです。
ここに、この世の常識と神の御国との考え方の違いがあります。この世では、自分が幸福になるためには、人を押しのけ、踏み台にしてでも前に出なければならない。それが社会です。そこから脱落したものは、落ちこぼれと呼ばれ負け組みとされるのです。
しかし主イエスの考え方は違います。幸福なのは、主イエスのもとに来る者であり、しかしそれは押しのけるのではなく、助け合い、弱い所をかばい合って、神様のもとに共に行くということです。そこに主イエスは大きな祝福を与えられるのです。
- 聞くことからはじまる・・・ (2025-12-15 08:41:23)
- 待つことの力・・・ (2025-12-14 06:55:23)
- きんたくんと神さまの愛・・・ (2025-12-13 05:37:38)
- 良い羊飼いについて行こう・・・ (2025-12-12 06:47:59)
- きんたくんと大きな布のひみつ・・・ (2025-12-11 06:59:08)
- きんたくんとインマヌエルのおくりもの・・・ (2025-12-10 07:07:12)
- きんたくんと切り株のひみつ・・・ (2025-12-09 05:38:50)
- きんたくんと「心を守る」お話・・・ (2025-12-08 05:24:46)
- きんたくんとちがいの宝・・・ (2025-12-07 06:49:48)
- そばにいてくださると言うこと・・・ (2025-12-06 06:35:08)

