本日の聖書 マルコによる福音書5章33〜34節
「女は自分の身に起こったことを知って、恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのままに話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。』」
宣教題 「恐れることはない、ただ信じなさい」 北村 紀一
会堂長のヤイロは、必死になって、イエス様に「私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」(23節)と言いました。
この町の会堂長の家の一大事ですから、多くの人々の深い「関心」が向けられました。そんな時に「さて、ここに12年間も出血の止まらない女がいた」(25節)。彼女は12年間、汚れた女として、冷たい視線を浴びながら、人目を避けるように生きてきた人です。
だから人々の関心が、ヤイロの娘に向かっている今こそ、イエス様に近づく最大のチャンスでした。「イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの服に触れた、この方の服にでも触れればいやしていただける」(27、28節)と思っていたからです。
そのように彼女はこの12年間どんなに騙され、軽蔑され、苦しんでも、「神への望み」だけは決して失いませんでした。そして、イエス様の服にふれると、すぐ出血が止まって、完全に癒されてしまったのです。
すべてをご存知であるイエス様は、人目を避けてきたこの女性こそが、多くの人の「信仰の手本」となることを伝えるために、あえて、「わたしの服にふれたのはだれか」と強く迫りました。冒頭の聖句のように人目を避けてきたこの女性をど真ん中で向き合う人に変えられたのでした。
アブラハムが信仰の父となったのは、「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」たからです。そして、イエスが話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」この言葉にヤイロは惑わされそうになります。しかし、イエス様は、「恐れることはない、ただ信じなさい」と言われ、ヤイロも娘も「救われた」のです。
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