本日の聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章4節
「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」
宣教題 「十字架によって」 北村紀一
十字架とは、犯罪人を磔にして死刑にするための道具です。そんな絶望的で恐ろしいもの、目をそむけたくなるもの、縁起でもないものを、キリスト教会は一番大事な「救い」の象徴にしています。
この十字架によってつまづく人は、そんな縁起の悪いものを象徴にしていること自体がありえないのです。だから、そんな十字架にかけられたイエス様が救い主だとは考えられないわけです。それゆえ十字架上のイエス様を平気で馬鹿にし、罵り、辱めます。
イエス様は、目の見えない人の目を開け、孤独な人の友となり、分け隔てなく、どの人も神さまにとって大事な存在である一人の人として関わられました。イエス様にふれた人は、本物の愛にふれて、人間らしい心を取り戻していきました。
しかし、自分の思い通りにいかないとダメな人によって、捕えられ、不公平な裁判にかけられ、ムチ打たれ、十字架にかけられて殺されてしまったのです。それでも、イエス様は十字架上で、「父よ、この人たちを赦してください。何をしているのかわからないのです。」と、御自身を十字架にかける者の為に祈るのです。
イエス様にふれた人は、自分こそ十字架にかからなければならない者であることを知るのですが、「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。」ペトロの手紙一2:24と言われているように、イエス様が自分の身代わりとなって十字架にかかられたことを知るのです。これが十字架の意味です。
私たちは、こんな自分のために犠牲になってくれる人(救い主)がいることで、本当の愛を知るのです。十字架は絶望(暗闇)を希望(光)に変えられ、目線が変えられ、生き方が変えられ、本当に頼るべき御方を知って、共に生きる者へと変えられるのです。
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