本日の聖書 マタイによる福音書25章14〜15節
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントン預けて旅に出かけた。」
宣教題 「天の国の生き方」 北村 紀一
「ある人が旅行に出かけるとき、僕(しもべ)たちを呼んで、自分の財産を預けた」(14節)。主人が僕たちに自分の財産を預ける。それは、私たちの人生は、神さまのものを預かって生きている、ということです。
預けられた人生を生きる。それは今日のたとえ話においては、3人の僕が主人の財産を、それぞれの力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントン預けられて、そのタラントンをどのように生かしたかという内容です。
この内容を単純に考えると、預けられた財産を活用して儲けた者はほめられ、財産を運用しないで、儲けなかった者が叱られてしまうかのように思われます。では、主人がほめたり、叱ったりする理由は、儲けがあったか無かったか、ということなのでしょうか。
そうではありません。預けられたものが大きくても小さくても、その財産を何らかの形で生かそうと努めたのであれば、たとえ儲けが無かったとしても、主人はやはり、「忠実な良い僕だ。よくやった」とほめてくださるに違いありません。つまり、主人は、財産(神さまの知識)を持っているかどうかではなく、私たちが信仰を持って、神さまの御心に従うかどうか、つまり与えられた財産を生かそうとしたかどうか、その思い、志、生き方をみているのです。
私たちは、人と自分を比べて、自分のことを評価しようとします。だから、自分が劣っていると、何か一生懸命することが馬鹿らしくなったり、やる気をなくしたり、人をうらやんだり、妬んだり、いじけたりします。そして「神さまは不公平だ」と考えたりします。そういう時、自分に預けられたものは、他人と比較すれば小さく見えることもあるでしょう。
けれども、惑わされないで、しっかり見れば、与えられているものは決して小さくはなく、一タラントン(約1億円)でも、むしろ大きいのです。そのように主から預けられたものを信じれば、比較の問題よりも、自分は自分として、自分らしく精一杯生きれることに感謝し、いつも主と人に感謝する心(天の国)が拡がるのです。
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