礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2022年7月17日「地の塩、世の光」
本日の聖書 マタイによる福音書5章14節
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。」
宣教題「地の塩、世の光」 牧師 新保雅雄
主イエスは、弟子たちに向かって「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」と言われています。
主イエスは、何か条件を付けて、「もし、○○ができるならば、地の塩、世の光になれる」だからなれるように、しっかり頑張りなさい、と言われたのではないのです。
また、特に選ばれた人、才能をもった人にだけ言われた訳でもないのです。今のままの、ありのままに「あなたが、地の塩であり、世の光なのだ」と言われています。
ここに、神の恵みによる「幸い」があります。「神が、一方的に、恵みによって、私たちを選んでくださり、地の塩、世の光としてくださった。だから、相応しく生きよう」これが、生き方なのです。
救いも同じです。「何かが出来たから救われたのでは、ありません。」「救われたから神の言われるような人生を生きよう。」なのです。(出エジプト)先に神の救い恵みがあり、感謝の人生があるのです。
光は自分を照らすのではありません。 世の光としての私たちは、自分自身に光が当たることを望むのではなく。世の光として、人々を照らすことや社会を照らすことが光の役目なのです。
ですから、世の光としてのクリスチャンは、この世に仕えることが役目です。その時、光が光らしく輝くのです。また塩も自分自身のためにあるのではなく、周りの腐敗を防ぐための清めに使われる。
地の塩も世の光も、自分のためにではなく、世や人の為にこそ存在します。だからこそ、私たちは、礼拝の場から、地の塩として、また、世の光として、それぞれの働きの場へと遣わされるのです。
- ひとりぼっちに見える夜でも・・・ (2026-01-26 06:55:24)
- いっしょに歩く帰り道・・・ (2026-01-25 07:52:11)
- きんたくんと おばあちゃんの わすれもの・・・ (2026-01-24 05:14:20)
- きんたくんと割れたまどと“もうだいじょうぶ”・・・ (2026-01-23 07:09:08)
- やさしさが心を動かす・・・ (2026-01-22 06:56:28)
- できなかった日と、心のおしろ・・・ (2026-01-21 05:40:17)
- ぼくは、しかえしをしない・・・ (2026-01-20 06:52:14)
- なかよしのひみつ・・・ (2026-01-19 06:16:30)
- こころをひとつに・・・ (2026-01-18 05:16:08)
- がんばりすぎた日の“やすみどころ”・・・ (2026-01-17 06:21:12)

