礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2022年3月27日「何を希望に生きるのか」
本日の聖書 コヘレトの言葉1章1〜7節、12章14節みな空しく、風を追うようなことであった。
宣教題「何を希望に生きるのか」 牧師 新保雅雄
あのダビデ王の息子、二代目ソロモン王、絶大な栄華を極めたソロモン王は言う「何をしても空だ。人生は空しい。」
いずれ人は死を迎える。人を愛すれば愛するほど、いずれ来る死を思うと苦しくなる。真面目に生きれば生きるほど、死で終わることを思うと、馬鹿らしくなる。今夢中でやっていることは、何なんだろうか? 死で全ては終わるとしたら、何をしても空しくなる。投げ出してしまいたい。人は裸で生まれ、また裸で帰っていく。
人を愛したくない、夢中で生きることもしたくない。大切な人を夢中で愛するとき、その先に大きな悲しみがいつか来ることを知る、あまりにも空しい。愛するとは何なんだろうか。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に」(12章)
主イエスは言われる、「私を信じて着いて来なさい。死に打ち勝った。恐れることはない、死は通過点だ。」死で全てが終わるわけではない。そのことを、希望を教えに来られたのが、主イエスキリストである。そして私たちは永遠の世界、永遠の命、神を知る。
信仰とは生きる希望を確信することである。ああ感謝・・
- 恐れる時にも・・・ (2025-05-04 06:32:10)
- 平和の王・・・ (2025-04-27 05:22:29)
- 祝イースター2025・・・ (2025-04-20 07:37:54)
- 謙遜な救い主・・・ (2025-04-13 07:20:00)
- 約束の地・・・ (2025-04-06 07:01:39)
- あなたは神さまに選ばれた人・・・ (2025-03-30 07:17:31)
- 誠の友に・・・ (2025-03-23 07:18:18)
- 神さまと一緒にいる恵み・・・ (2025-03-16 07:24:36)
- 安心の居場所・・・ (2025-03-09 17:15:25)
- 十字架の愛によって・・・ (2025-03-09 07:33:11)