本日の聖書 マタイによる福音書9章20節
「イエスが二人の目に触り、あなたがたの信じているとおりになるようにと言われると、二人は目が見えるようになった。」
宣教題「あなたは何を見、何を信じるのか」 牧師 新保雅雄
本日の聖書は、主イエスに好意を持つ者もあれば、敵意を持つ者もいる。実に世には好意と敵意が渦巻いているのです。ある者は、主イエスに助けを求め、また、ある者は、悪口を浴びせかけます。
二人の盲人、彼らは、主イエスに助けを求め続けて家まで付いて行きました。そこで主イエスは、ようやく、彼らに向き合ってくれました。そして「わたしにできると信じるのか」と言われた。
彼らは「はい、主よ」と答えました。 すると主イエスは、彼らの目に触れ 「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われ、癒されたのです。信仰が問われているのです。誰のせいでもなく、自分がどう信じているかで、その結果が決まるのです。
しかし目の前に、主イエスを通して、神の奇跡、癒し救いが現れているのにも関わらず、ファリサイ派の人々は、それを認めることができませんでした。私たちも癒された先人の証しを幾度となく聞く、当時のファリサイ派と同じであってはならない。自身の知恵におぼれ頼るとき、その知恵によって滅びる、そこに奇跡、救い癒しはおきない。主はあなたがたの信じているとおりになると言われる
自らの欠けに気が付かない人、気が付いても認めない人、残念ながら、神の愛を受け取ることが出来ません。苦しみながら、「わたしを憐れんでください」と心から叫んだとき、憐れみを受けるのです。実に「愚かなものを通して知恵あるものをいましめる」1コリ1:19
二人の盲人は、目が不自由な中で、苦労も多かった。しかし主イエスに憐れみを請うことが出来た点、この病は、恵みだったのです。
一方、ファリサイ派の人々は、手を差し出せば、受け取ることの出来る神の恵みを、かたくなにこばんだのです。神への信仰よりも、自身の知恵が勝ったのです
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