メインメニュー
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
090-8801-0111
(新保牧師携帯)
アクセスカウンタ
今日 : 274274274
昨日 : 905905905
総計 : 957688957688957688957688957688957688
礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2021年12月5日「日々新しく」
投稿者 : church 投稿日時: 2021-12-05 06:08:19 (273 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書917


「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」


宣教題「日々新しく」   牧師 新保雅雄


主イエスは、福音を、どう受け止めるべきか、二つの例を語られました。いずれも新しいものと、古いものとの関係が示されています。


一つは、古い服のどこかが破れてしまったために、継ぎを当てる時のことです。この場合に、わざわざ、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てると、新しい布切れがちじみ、服を引き裂き、破れがいっそうひどくなる。


つまり一度、洗濯して、服が濡れ、乾き始める時に、織りたての布切れは収縮の度合いが多いため、せっかく継ぎを当てても、回りの古い生地が引っ張られ、破れてしまうのです。


二つ目として、新しいぶどう酒を革袋に入れる時のことです。この場合も、新しいぶどう酒を古い革袋に入れると、革袋が破れ、せっかく中に入れたぶどう酒も、革袋も、両方とも失われてしまうのです。新しいぶどう酒は、発酵力が強く膨張するから入れ物を引き裂いてしまうのです。


神の愛を信じる者は、古い生き方から解放され、新しい歩みへと招かれているのです。主イエスという新しい教えを、古い体質のままではなく、新しい体質に受け入れることが必要です。


古い体質のままで教えを受け入れようとすれば、弾力を失い、新しい教えを納められなくなるのです。無理に入れようとすると、袋が破けてしまうのです。ですから、主イエスの恵みと神の愛を、受け止めるためには、私たち自身も、新しく作り変えられることが必要なのです。


古い自身のままで主イエスの新しい教えを入れても、葛藤や迷いで自分自身が破けてしまう。ここに信仰のつまづきがあります。


印刷用ページ