本日の聖書 マタイによる福音書11章20節
「お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。」
宣教題「悔い改めない町を叱る」 牧師 新保雅雄
今朝の聖書個所は、主イエスが悔い改めを求めて、たいへん厳しく町々を叱り付けています。叱り付けている町は、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムというガリラヤの町々です。
これらの町は、度々聖書に出てくる町です。ここで主イエスは、沢山の奇跡を行い、悪霊を追い出し、病気の人々を癒されました。
ところが、これらの町々に住む人々は、奇跡を目の当たりにしても、主イエスをキリストとして、悔い改めて神に立ち帰ることがありませんでした。そこで主イエスは、強く叱り付けたのです。
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ」。この「不幸だ」という言葉は、ユダヤ教の会堂への出入り禁止を宣告する時にも用いられる、大変厳しい言葉です。
これらのガリラヤの町々を批判するために、悪名高きティルスやシドン、それにソドムを喩えに出された程、これらの町々は、不道徳に満ちた町なのです。不道徳な町ソドムを、神は滅ぼそうとしました。そこでアブラハムは、神に滅ぼさないように繰り返し願いました。しかしそんな願いも空しくソドムは滅ぼされました(創18)
主イエスは、ソドムを始めとする、不道徳で罪深い町々の方が、「まだ軽い罰で済む」と言われています。つまり神の奇跡が行われても、悔い改め神に立ち帰ろうとしない、ガリラヤの町々の人よりも、ソドムの方がまだましだと、厳しく警告しています。
果たして私達は、どうでしょうか。主イエスが私たちの罪をのために十字架で死んで、三日目に復活し、そして赦し愛される。これほどの愛が、神から示されているにも拘わらず、悔い改めることも無く、神に立ち帰ることも無いならば、一体どんな言葉が、主イエスから語られるでしょうか。
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