本日の聖書 マタイによる福音書10章 40節
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。」
宣教題「喜びも痛みも主と共に」 牧師 新保雅雄
12弟子は、福音伝道へと遣わされようとしています。そんな弟子たちに、主イエスは、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである」と言われました。
果たして世の人々が、12弟子を受け入れるのか、それともこばむのか。12弟子を受け入れることは、12弟子を遣わした主イエスを受け入れることであり、神を受け入れることになるのです。
つまり12弟子たちが、世の人に受け入れられた時の喜びは、主イエスの喜びであり、神の喜びなのです。その逆に12弟子たちが拒否された時の痛みは、主イエスの痛みであり、神の痛みであるのです。この派遣においては、主イエスと神が、喜びも、痛みも、弟子たちと共に味わってくださるのです。
続けて主イエスは、こう言われました。「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
ここで「この小さな者の一人」というのは、主イエスから遣わされる弟子たちのことです。その弟子たちに対して、主イエスの弟子だという理由だけで、冷たい水を一杯でも飲ませてくれるならば、その人は、必ずその報いを受けるというのです。
荒野の多いパレスチナでの水は貴重なものです。しかし水一杯とは、それほど大袈裟なもてなし親切ではありません。誰にでも行えることです。しかし、その小さな親切、それをするかしないかで、その人の人生は、神の祝福の人生になるのです。今日の小さなちょっとした優しさで、人生が大きく違ってくるのです。
- こわい気持ちを預ける場所・・・ (2026-03-21 06:30:47)
- 「やすめない心」のおはなし・・・ (2026-03-20 06:40:15)
- どこにいても、追いかけてくれるやさしさ・・・ (2026-03-19 06:35:24)
- 心の中の“ほんとうの強さ”を見つける・・・ (2026-03-18 06:43:13)
- まよった道で見つけた“信頼のちから”・・・ (2026-03-17 06:23:05)
- ありがとうを見つける冒険・・・ (2026-03-16 05:28:53)
- 悩むときも、うれしいときも、神さまはそばに・・・ (2026-03-15 06:26:55)
- いま、きみだからできること・・・ (2026-03-14 06:11:52)
- 「はじめの一歩」のひみつ・・・ (2026-03-13 07:11:31)
- だいじょうぶの平和・・・ (2026-03-12 07:30:55)

