本日の聖書 マタイによる福音書10章 1節
「 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、
汚れた霊に対する権能をお授けになった。
宣教題「主に力を頂く」 牧師 新保雅雄
ここには、12使徒の名前が記されています。最初の4人、ペトロと、その兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブと、その兄弟ヨハネ、彼らはもと漁師です。マタイは、ローマに仕える徴税人でした。シモンは、ローマ帝国からの独立をねらう過激な政治団体、熱心党の党員です。本来、彼らは一緒に活動が出来ないような人たちの集まりでした。
主イエスによる12使徒の選び方には、ただ一点重要な意味があります。それは自分ではなく主を誇る者であるということです。この世の地位や肩書き、能力に選ばれる基準があるのではありません。むしろ、何もない救いを求める飢え渇きにこそ、その選びの基準があるようです。
つまり自らの能力や実績や成果を誇ることの出来ない者であること、だからこそ神の恵みによって、自分が生かされ、用いられている、ことを知っている。このことが弟子には欠かせないのです。
主イエスは、こうして選んだ12人を福音宣教の旅へと派遣されました。そして金銭も下着も、履物も杖も一切持たずに行くようにと指示されたのです。使徒たちは不安だったことでしょう。しかし、派遣された現場で使徒たちは、不思議にも必要なものを備えてくださる主の導きを体験するのです。
何も持ち得ない時、不安がつのります。しかし、それだからこそ神に心から真剣に依り頼むことができる。逆に沢山のものを持ち得ているとき、自分の力、能力、財力に過信してしまいます。その時、神に何を願い祈るのでしょうか。
私たちも12使徒のように、たとえ身支度が十分で無いと感じる中にあっても、備えて下さる主に依り頼みながら証し人でありたい。
自分の力では、どうにも出来ないとき、何も持ち得ない、その時こそ求める時、祈りの時であり、主の救いの奇跡に出会うときです。
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