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礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2020年2月2日「断食」
投稿者 : church 投稿日時: 2020-02-01 22:46:11 (112 ヒット)

 本日の聖書 マタイによる福音書6章16節

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする」

宣教題「断食」      牧師 新保雅雄

主イエスの時代、断食は、施し、祈りと共に、信仰生活において欠かすことのできない、大切なものでした。断食は、食事を断つことによって、神に思いを集中することです。

このように本来、断食とは、「何を食べようか」、と思い煩うことなく、神に心を向けるために行なわれてきました。ところが、いかにも、「自分は断食しています」、「苦しいけれども頑張っています」と、自分の信仰を誇らしげに見せるような、わざとらしい断食がされました。

実際は、それほど苦しくも無いのに、人の注目を集めようと、わざと、大げさに見せかける断食です。 主イエスは、こうした見せかけの、「断食」に、「彼らは既に報いを受けている」と言われます。

既に、主イエスは、人に見せびらかす施しや、人に見せびらかす祈りを戒められました。そして、ここでは、人に見せびらかす断食を戒められたのです。神に対してされる信仰が、人に対してされてしまうのです。

主イエスは、断食する時には、頭に油をつけ、顔を洗いなさいと言われました。つまり、たとえ断食する時にも、普段どおりの、さり気ない格好で行いなさいと言われるのです。

そして本当に苦しい時、本当に辛い時には、顔つきや格好を気にする必要はありません。沈んだ顔つきのままで、見苦しい顔のままで、髪振り乱したままでも、着の身着のままで神に助けを求めて良いのです。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」9:12と主イエスは言われています。救急車で病院に運ばれる時に、着替えたり、化粧する必要はありません。神に助けを求める時にも同じです。信仰は人に見せ人が評価するのではなく。信仰とは、神の恵みなのです。


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