本日の聖書 ヨハネによる福音書 11章3、4節
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
宣教題 『救われて証の人生へ』 牧師 新保雅雄
「わたしには、まくらするところもない。」と言われた主イエスにとって、このベタニアの家族達は、心から休まる家だったのです。この安らぎの家の親友ラザロが病気で死んでしまいます。しかし、主イエスは、死後四日たったラザロを死から救い出しました。
主イエスは、この救いは、「神の栄光を現すこと」であると言われています。ではその栄光とは、何でしょうか?
「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」(12:23,24) つまり主イエスがラザロを救うことは、主イエスが十字架へ向かって一歩進むことになるのです。
わたし達は、救いを只喜んでいる。しかし、この救いの裏には、主イエスの十字架の死という、大きな犠牲の上に成り立っていることを知るべきです。救われた人生は、自己の喜びだけで終わるのではなく、もっと主イエスへの感謝を現す人生であってほしい。
あの生まれついて盲目の人が(9章)、姦通の女の命が(8章)、ベトザタの池で38年待った足の不自由な人が(5章)、その救いのどれもが、主イエスを十字架に一歩づつ近づけて行くのです。
そして彼らは、ユダヤ当局から圧力をかけられても、中傷や追放の中でも「救ったのは、キリスト・イエスである」と答えたのです。たとえ社会から締め出されても、主イエスを証する人生を送る。
「主よ感謝します」口先だけの祈りは、もう止めにすべきです。感謝は、自分の人生の生き方で現したい。今朝あなたがここにいるのは、イエス・キリストの十字架の死によって救われたからなのです
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