礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2019年11月3日「待ち望む喜び」
本日の聖書 テモテへの手紙第二4:8
「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」
宣教題「待ち望む喜び」 牧師 新保雅雄
今月末からツリーに火がともり、 アドベント(待降節)を迎える季節になりました。主イエスが、この世にお生まれになったクリスマスの恵みを覚え感謝しつつ、イエス・キリストが来られる時を「ひたすら待ち望む」(4章8節)者でありたいと願います。
テモテへの手紙は、パウロが、自分の後輩の伝道者であるテモテに書き送った手紙です。4章6節以下では、「世を去る時」(6節)、すなわち、この世の死を迎える時を強く意識したパウロが、自分自身のクリスチャン人生の歩みを振り返りつつ、自分に続く伝道者たちを、励ましています。
パウロは、自分自身の歩みについて、こう言っています。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。」(7、8節)
この時のパウロは、マラソンを走り抜いた選手が表彰式で栄冠を受賞する時を待つような心境でしょう。
こんなパウロであっても、順風満帆にこの時を迎えたのではありません。信仰の道を外れて、神の御心に背くこともありました。ユダヤ教徒であった時には、クリスチャンは神を冒涜しているとし迫害し逮捕し十字架に送りました。
そんなパウロにも、主イエスは望んでくだされ、真の救い主であることを知らされ伝道者とされたのです。今パウロは言います「わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」 主を待つ喜びをあなたにも・・・
「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」
宣教題「待ち望む喜び」 牧師 新保雅雄
今月末からツリーに火がともり、 アドベント(待降節)を迎える季節になりました。主イエスが、この世にお生まれになったクリスマスの恵みを覚え感謝しつつ、イエス・キリストが来られる時を「ひたすら待ち望む」(4章8節)者でありたいと願います。
テモテへの手紙は、パウロが、自分の後輩の伝道者であるテモテに書き送った手紙です。4章6節以下では、「世を去る時」(6節)、すなわち、この世の死を迎える時を強く意識したパウロが、自分自身のクリスチャン人生の歩みを振り返りつつ、自分に続く伝道者たちを、励ましています。
パウロは、自分自身の歩みについて、こう言っています。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。」(7、8節)
この時のパウロは、マラソンを走り抜いた選手が表彰式で栄冠を受賞する時を待つような心境でしょう。
こんなパウロであっても、順風満帆にこの時を迎えたのではありません。信仰の道を外れて、神の御心に背くこともありました。ユダヤ教徒であった時には、クリスチャンは神を冒涜しているとし迫害し逮捕し十字架に送りました。
そんなパウロにも、主イエスは望んでくだされ、真の救い主であることを知らされ伝道者とされたのです。今パウロは言います「わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」 主を待つ喜びをあなたにも・・・
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