本日の聖書 マルコによる福音書15章 節
「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。」
宣教題「あなたの救いの為に生まれ〜」 牧師 新保雅雄
総督ピラトによって、主イエスは十字架に付けられることが決定しました。そして主イエスに対する陰湿な言動が始まったのです。
兵士たちが主イエスを、総督官邸の中に引いて行きました。兵士たちは、主イエスに向かって「ユダヤ人の王、万歳」と言って、主イエスを拝み、棒でたたき、唾を吐きかけるのです。
自身をつける十字架を死刑場まで運ぶことは、死刑囚の勤めです。しかし主イエスは、前夜から続く取調べと鞭打ちによって、十字架をかつげません。そのとき、ちょうど通りかかったシモンに十字架を担がせたのです。こうして主イエスは、午前9時に十字架にかけられました。罪状書きは「ユダヤ人の王」と記されました。
人々の主イエスに対する仕打ちは、とどまる所を知りません。通りがかった人々は「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」。 祭司長、律法学者たちも「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」。 さらに、一緒に十字架に付けられた犯罪者までののしったのです。
主イエスは、十字架に踏み止まられました。決して、十字架から降りて自分を救おうとは、されなかったのです。 この主イエスの姿を、皆さんはどう思われるでしょうか。自身を救う為ではなく。人を救うために世に来られた、ここに主イエスの愛があります。
使徒信条では、この二つの言葉が続けて記されています。「おとめマリアから生まれ」「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」まるで、生まれたと思ったら、すぐに苦しみを受けたかのように思えてくる。
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