本日の聖書 使徒言行録3章2〜8節
生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめているとペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
宣教題「人頼みから神頼みへ」 牧師 新保雅雄
ペトロとヨハネは、神殿の「美しい門」で、足の悪い男が物乞いをしているのを見た。彼は門のそばにいたが、一度としてその門をくぐって神殿に入り礼拝を奉げ、神を讃美することは無かった。
門のそばに座り、わずかな施しのお金で、その日を生きるのである。それは人の支えによって生きる40年であった。しかし、二人のキリスト者に出会うことによって、まったく新しい人生へと方向転換して行くのである。彼は、生きる意味と生きる力、生きる目標を与えられた。「人頼みから神頼みへ」と変えられたのであった。
その変化を呼び起こしたのが、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と呼びかけたペテロの祈りの様な言葉である。彼の望んだ物は金銀、そして今日のパンであった。彼の命は人頼みである。ペトロは、人にすがるのではなく、神の御子イエスの生きたパンを求めていきなさい、と呼びかけたのである
そのとき奇跡が起きる。彼は自分の足で、自分の人生を歩き出したのです。彼の信仰ではなく、ペトロの祈りで救いが起きるのです。今日、私達が不純な動機で、教会に来たとしても、神は全てをご存知である。私達の願いや信仰よりも、神の救いが先にあるのである。
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