本日の聖書 ヨハネによる福音書11章3、4節
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
宣教題「死の先にあるもの」 牧師 新保雅雄
「わたしには、まくらするところもない。」と言われた主イエスにとって、このベタニアの家族達は、心から休まる家だった。この安らぎの親友ラザロが病気で死につつある。
弟のラザロが病にかかり、なすすべもなく悪化していき、ついに死に直面している。マルタとマリアは、絶望してあきらめるのではなく、主イエスの所に人を遣いに出したのです。そして「主よ、あなたの愛していられる者が病気なのです」。と言わせた。
しかし、ラザロは、死んでしまいます。主イエスがそこへ着いたのは、死後四日たっていました。
このラザロの死に対して、主イエスは言われます。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
では「この病気は死で終わるものではない。」とはどういう意味でしょうか?‥‥「死ぬほどの病気ではない。大丈夫」という意味でしょうか? しかしこのあと、ラザロは死ぬのです。
私たちは、人間死んでしまえば、すべてが終わりであるかのように思う。しかし、それが主イエスによって変わるのです。 主イエスは「この病気は死で終わるものではない」と言われるのです。主イエス・キリストによって、そのように変えられるのです。
必ず人は死を迎えます。しかし死は人間の人生の最終目的地ではなく。今日の主イエスの言葉によれば、私たちが主イエスに、自身の命をゆだねた時、それは「死で終わるものではなくなる」。その先にある神の国へとつながっていくようになるのです。
- 心がかわいたときの水・・・ (2026-03-23 06:31:31)
- 悲しみの中にある、やさしい光・・・ (2026-03-22 06:34:06)
- こわい気持ちを預ける場所・・・ (2026-03-21 06:30:47)
- 「やすめない心」のおはなし・・・ (2026-03-20 06:40:15)
- どこにいても、追いかけてくれるやさしさ・・・ (2026-03-19 06:35:24)
- 心の中の“ほんとうの強さ”を見つける・・・ (2026-03-18 06:43:13)
- まよった道で見つけた“信頼のちから”・・・ (2026-03-17 06:23:05)
- ありがとうを見つける冒険・・・ (2026-03-16 05:28:53)
- 悩むときも、うれしいときも、神さまはそばに・・・ (2026-03-15 06:26:55)
- いま、きみだからできること・・・ (2026-03-14 06:11:52)

