本日の聖書 マルコによる福音書6章11〜13節
「しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
宣教題「あなたが世界を変える」 牧師 新保雅雄
主イエスと弟子たちは、福音伝道の旅を続けています。弟子達は主イエスより神の国の福音を聞き、病気の人を癒す奇跡をまじかで見て来ました。行うのは主イエスです。弟子達は、ただ付いて従うだけでした。それが今度は弟子たちが、自身で宣教し、また病気の人を癒すために、村々へ遣わされることになったのです。
この弟子の派遣を、私達に置き換えてみてください。聖書を読んでいる。宣教を毎週聞いている。しかし、そのことがどのくらい身に付いているのでしょうか。教会から送り出されて行く場所、すなわち各々の日常生活の場、学校や家庭、職場、そこで主イエスの教えを、いかに実践しているのかが問われているのです。
現実の社会では、必ずしも主イエスの教えを、そのままに実践することが難しいこともあります。それによって不利益、葛藤や挫折を味わうこともあるでしょう。だからと言って「教会では信仰者の顔、現実社会では肉の顔」と器用に人生を送るのはどうだろうか。
時に私たちは、信仰によって不器用にしか生きることの出来ない自分に苦しむ時があります。世では隅に追いやられて損をするかもしれません。しかし、不器用だって良いのです。人と違っていたって、人と同じように出来なくたって、損をしても良いのです。
主イエスは「富は天に積みなさい」と言われます。今、世で損をしているように見えるが、それが神から与えられた恵みです。大事なことは、私達が社会の隅っこに押しやられているように見えても、そのことに腐ってしまって、持ち味、塩味を失ってしまわないことです。この世では損をしているように見えることが、実は大きな恵みであり、この世を神の祝福の御国に変える力になるのです。
- 「たたけばひらくドア」のひみつ・・・ (2026-03-24 06:35:43)
- 心がかわいたときの水・・・ (2026-03-23 06:31:31)
- 悲しみの中にある、やさしい光・・・ (2026-03-22 06:34:06)
- こわい気持ちを預ける場所・・・ (2026-03-21 06:30:47)
- 「やすめない心」のおはなし・・・ (2026-03-20 06:40:15)
- どこにいても、追いかけてくれるやさしさ・・・ (2026-03-19 06:35:24)
- 心の中の“ほんとうの強さ”を見つける・・・ (2026-03-18 06:43:13)
- まよった道で見つけた“信頼のちから”・・・ (2026-03-17 06:23:05)
- ありがとうを見つける冒険・・・ (2026-03-16 05:28:53)
- 悩むときも、うれしいときも、神さまはそばに・・・ (2026-03-15 06:26:55)

