本日の聖書 ルカによる福音書16章15〜17節
そこで、イエスは言われた。
「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。」
宣教題「何を誇るのか」 牧師 新保雅雄
ファリサイ派の人々に対して、主イエスは語られました「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。」(15節)
これは、人目に付く所でだけ、自分の信仰、行い、正しさをこれ見よがしに見せびらかして誇ろうとするファリサイ派の人々に、悔い改めを投げかける言葉です。私たちも教会の内の顔と外での顔の違いにも通じます。クリスチャンの顔、よそ行きの言葉。
続けて「律法と預言者は、ヨハネの時までである」と主イエスは語られました。ここで言われる「律法と預言者」というのは、旧約聖書のことを指しています。バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを授けて以来、新しい時代が到来し、神の国の福音が告げ知らされました。それは、「神の国は近付いた」という喜ばしい知らせ福音であり、人々に求められるのは「悔い改め」です。
悔い改めとは、人生の方向転換です。今までの人生を止めて、神の方へと人生の方向を転換することです。ところが、実際には、正反対のことが起きました。それは、「だれもが力ずくでそこに(神の国)入ろうとしている」ということです。これは、自分の信仰によって、自分の良い行いによって、自分の力によって、神の国への扉を強引に開けようとする、律法学者などの人々に向けた言葉です。
自分の力では誰一人、神の国へ入ることは出来ません。神の国への入り口は、己を低くして、主イエスの十字架こそが、神の国へ通じる道であると認め謙虚に生きる者にこそ、開かれるのです。
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