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礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2018年7月22日「赦された者」
投稿者 : church 投稿日時: 2018-07-22 22:37:31 (667 ヒット)

 本日の聖書  マタイによる福音書3章13〜15節

「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼からバプテスマを受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるべきなのに、あなたがわたしのところに来られたのですか。』しかし、イエスはお答えになった。『今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。」

宣教題「赦された者」   牧師 新保雅雄

キリスト教会には、洗礼(バプテスマ)という聖礼典があります。

キリスト教では、新しい生命の出発となる重要な儀式です。

その洗礼の起源ですが、普通に考えれば、主イエスが最初に弟子に洗礼を授けたのが始まり、といったことを想像しますが、そうではありません。その逆に、主イエス自身が洗礼を受けたという出来事が、伝道の開始に先立ってあったと福音書は記しています。

ヨルダン川で洗礼を施した洗礼者ヨハネ自身が、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたしのところへ来られたのですか」と主イエスに疑問的に聞きなおしています。

パウロが主イエスのことを「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました」と書いています。主イエスは罪と無縁なのです。主イエス自身に罪がないからこそ、わたしたちの罪をかわりに贖うことができたのです。 

ではなぜ主イエスは洗礼を受けることを望んだのでしょうか?

主イエスは、悔い改めを必要として、うなだれているわたしたち罪人の列の中に入ってきてくださり、先頭に立って、主みずから洗礼を受けられたのです。天の高いところから迫ったのではありません。自分の罪深さに悩み苦しむ、わたしたちのもとに来られ、罪の身代わりとなられたのです。


ヨハネの洗礼には、罪の告白はありましたが、罪の赦しを得させる力はありませんでした。主イエスの洗礼は、あなたの罪を赦し、そして新しい命へと続く為の救いがあるのです。


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