メインメニュー
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

住所変更のお知らせ
新住所
板橋区仲町23−17
東武東上線 
中板橋駅徒歩12分
連絡先
090-8801-0111
(新保牧師携帯)
アクセスカウンタ
今日 : 7171
昨日 : 405405405
総計 : 525767525767525767525767525767525767
礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2011年7月3日 愛と宗教
投稿者 : admin 投稿日時: 2011-07-03 22:07:51 (1664 ヒット)

聖 書 ルカによる福音書14章5節
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」


宣教題  『愛と宗教』   
主イエスは、安息日にファリサイ派の議員に、食事の招待を受けました。議員の家には律法の専門家やファリサイ派の議員達が、大勢集まっていました。その中に水腫を患っている人がいました。

この病人が、ここに招かれたのは、安息日に主イエスが、この人に対してどうするか、その様子をうかがう為だったのです。

主イエスは、その心を見ぬいて彼らに言いました。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」彼らは黙って一言も答えませんでした。主イエスは、水腫を患っている人を癒され、議員の家から送り出してしまいました。

あらためて主イエスは聞きました。 5節「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」彼らは何も答えることが出来ませんでした。なぜなら認めざるを得なかったからなのです。

誰でも愛する我が子を助けようとします。もしそれが、律法違反だとして非難されても、自分が裁かれ罰せられたとしても、助けようとするでしょう。彼達は、他人には、律法厳守、信仰第一と教えているが、自分の愛する子供だったらどうするでしょうか。

私達はどうでしょうか。信仰の弱い人に「クリスチャンのくせに」このことが、どんなに人を縛っているか。相手が抱え込んでいる状況も知らずに、信仰を押し付けることは、追い込むだけです。

自分では、どうしょうも出来ないからこそ、教会にすがっている人を、主イエスの愛から引き離す結果になっていないだろうか。 こうした心無い言葉で人を縛る時、いつしか自分も、「クリスチャンのくせに」という言葉に縛られることになるのです。


印刷用ページ