本日の聖書 マタイによる福音書26章75節
ペトロは「鶏がなく前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
宣教題「ペテロが流した涙」 牧師 新保雅雄
一番弟子のペトロは、主イエスが捕らえられた時、一旦は、他の弟子たちと同じく、主イエスを見捨てて逃げてしまいました。しかし、思い直し主イエスを追い掛け、大祭司の屋敷の中庭にまで入り込みました。屋敷では、主イエスを死刑にする為の裁判が始まっていました。
ペトロは、大祭司の配下にある人と共に、屋敷の中庭に座っていました。そこへ一人の女中がやって来て、こう言ったのです。「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」 ペトロは、「私は、主イエスの弟子のペトロだ」と名乗ることも出来たのです。しかし、名乗る勇気がありませんでした。自分の身を守るための言葉でしかなかったのです。
ここに自分の身を守ろうとする醜いペトロの姿があります。一番弟子としての意地も誇りもなく、ただただ、その場しのぎの行動を繰り返す、悲しい姿が浮き彫りになっているのです。
「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」(26;34-35)ペトロは、どんな時にも、主イエスに従います、と言っていたのです。主イエスに誓ったことを、簡単に破ってしまった自らの罪と身勝手さを、ペトロは、嫌と言うほど突き付けられたのです。
しかし、幸いなことに、主イエスは十字架で死んだままにはなりませんでした。神が、死をも乗り越える力によって、十字架で死んだ主イエスを、三日目に、復活させられたからです。そして、復活した主イエスは、ペトロを始めとする弟子たちと再びお会いくださり、弟子たちの罪を咎めることなく、罪の赦しを宣言してくださったのです。
こうして、ペトロには、道が開かれました。悔い改めて、神に立ち帰り、再び、主イエスに従う道が開かれたのです。復活によって永遠の命を信じた時、彼は大きな勇気を身に着けたのです。
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