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礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2017年4月23日「温かく迎え入れる」
投稿者 : church 投稿日時: 2017-04-23 07:30:26 (761 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書18章6〜7節

しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。

宣教題「暖かく迎え入れる」  牧師 新保雅雄

主は言われる。「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、深い海に沈められる方がましである。」

「大きな石臼」とは、人の手ではなく馬やロバ、牛に引かせて回すほど重い石の臼のことです。そんなものを首につけられて海に沈められたら、二度と地上に浮き上がってくることはありません。

それほどまでに、「イエスさまを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる」ということが、犯してはならない大罪なのです。

では「これらの小さな者の一人」とは誰のことでしょうか。5節までは「子供」と言われていますが、6節からは「これらの小さな者」と言われています。「小さな者」とは、もちろん子供のことですが、単に子供だけのことを言っているのではありません。

4節の「自分を低くして、この子供のようになる人」も指しています。すなわち年齢的には子供ではないけれど、子供のように低くなって神を求めてきた人、神を父のように信頼してきた人も含みます

「つまずく」というのは、石ころなどにつまずいて倒れることです。神を求めてやってきたのに、つまずかせて倒してしまい、先へ行けないことです。つまり教会の門をたたいてくる人を温かく迎え入れるということが何よりも優先され、神の最も望まれることなのです

いかかがでしょうか?私達は先輩のクリスチャンとして、新しい兄弟の見本になっていますか。御国へ続く道の、つまづきの石になっていないでしょうか。よいお手本になりたいものです。


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