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礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2016年10月30日「御国の秘密を知る者たち」
投稿者 : church 投稿日時: 2016-10-30 07:30:00 (878 ヒット)

本日の聖書 マタイによる福音書13章10〜13節

弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。

イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。」

宣教題「御国の秘密を知る者たち」   牧師 新保雅雄

先週は、主イエスが「種を蒔く人」のたとえ話しをされました。そして「種を蒔く人」のたとえ話の説明を、弟子たちだけにされています。

弟子たちには、たとえの説明をし、そのほかの群衆には、たとえを語ることだけで終わっているのです。主イエスは、弟子たちと他の人たち、群衆との間に、なぜ違いを設けているのでしょうか?

11節で、「天の国の秘密」という言葉を主イエスは、使っています。秘密というものは、みんなが知っていたら秘密になりません。一部の人だけが知っているから「秘密」なのです。主イエスの言われる「秘密」とは、神の御子イエス・キリストによって人類が救われるという、神さまの御計画のことです。

もっとストレートに、「わたしがキリストだ」「聖書が預言しているのはわたしのことだ」「わたしが神の子だ」と、言わないのでしょうか? それは、彼らが「理解できないから」だと、主イエスは言われています。では弟子たちと群衆の違いは、なんでしょうか? 

群衆は、目的を果たすと去っていきます。病気を癒してもらったら、主イエスのもとを去って帰っていきます。しかし弟子たちは、そうではありません。主イエスの周りにいつもいました。彼らは神を求めていたのです。御国を求めていたのです。癒しは通過点なのです

弟子たちは、癒された側から、癒す側になっていきます。そのためにはイエス・キリストは、神の御子である確信が必要なのです。


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