本日の聖書 ルカによる福音書6章17〜26節(中心20〜23)
「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。』」
宣教題 「弟子たちの目を見つめながら」 北村 紀一
イエス様は山の上で父なる神様に祈って、弟子たちの中から12人の使徒をお選びになりました。使徒とは、イエス様に遣(つか)わされて、神の国の教えを宣(の)べ伝える人たちです。
しかし、ここでイエス様が選ばれた12弟子は、特別何かすぐれていたわけではなく、むしろ無学で社会的にも地位の低い人たちであったということです。そのように弱くて小さいものを通して、「神の国はあなたがたのものである」ことを伝えようとされたのです。
それでイエス様が、弟子たちの目を見つめながらお語りになった最初の教えは『幸いと不幸』のお話しです。まず、本当の「幸い」とは何か、「不幸」とはどんなことかをお教えになったのです。
それは、これからの歩みの中でイエス様を伝えること、神の国のことを伝えることは、誰でも喜ばしいこととして受け取らないことを知っていたからです。それで、どこに土台を据えることが幸せなのかを教えてくださったのです。
なぜなら、この世の幸福観は、富んで、満腹できて、笑っていられる人生は幸せで、貧しく、飢え、泣いている人生は不幸だと考えます。しかし、イエス様の語られる神の国の幸福感は違っています。
この時の弟子たちは、理解できなかったのですが、後にイエス様が十字架に架かられ、弟子たちに聖霊が降ると、イエスさまを伝える時にどのような迫害があっても幸せにで満たされています。(使徒現行録5:41)
また、神の国に自分の土台に置いたパウロも、「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。」(フィリピ4:12)
「神の国」にこそ土台を据えるならば、どんな時もあなたは幸せだと言うのです。しかし、そうでないならば、不確かな幸せを求めて不幸になるのです。
私たちの人生に与えられるどんな条件も祝福の基と変えてくださる御方がイエス様です。このイエス様にこそ信頼を置くものは「幸せな人」だと言えます。
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