本日の聖書 創世記26章1〜33(中心19〜22)
19:イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、20:ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。21:イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。22:イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。
宣教題 「井戸掘りイサクここで生きる」 北村紀一
このゲラルには父アブラハムが掘った井戸があり、そこから水を得て、家畜に飲ませ、また畑を耕しました。主の祝福がイサクと共にあったので、収穫は多く、イサクは豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになりました。
すると、その土地の人々は「よそ者」の繁栄を見てイサクを妬みます。イサクが労苦して井戸を掘ると水がわき出ましたが、ゲラルの羊飼いたちは「その水は我々のものだ」と主張してきました。そんなことが何度か続きましたが、イサクは無条件で明け渡し、自分たちは場所を移動します。
この行為だけみると、なんだか弱々しいし、自分の権利を守ろうとしない意志のないような行為に見えます。しかし信仰の目から見れば、イサクの行為こそ「柔和な人」の生き方なのです。柔和とは「神さまに身を委ねる」ことです。
従ってイサクは「力づく」や「権利」で思いを遂げようとはせず、神様が「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と言われたその約束を信じ、周りの人たちと争いなく生活出来る「広い場所」が必ず与えられるはずだと「強い意志」をもっていました。温和で大人しいのではなく、強い意志があったのです。
与えられた使命や目標に向かうには、「強い意志」が必要です。どのような時も主に心を向けようとする「意志」が必要なのです。イサクは「主に委ねる」以外に道はないという信仰が主に祝福されて、イスラエルの民の繁栄のために「広い場所」を与えられたのです。つまり、信仰によって自分の「居場所」が与えられたのです。誰でも入ることのできるこの「広い場所」は主が共におられるので、たとえ艱難辛苦の中にあっても、そのままで「平安」が共にある「場所」なのです。
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