本日の聖書 マタイによる福音書23章2〜4節
「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
宣教題 「欠けた自分を知りなさい」 牧師 新保雅雄
律法を守ることに熱心であったのがユダヤ教のファリサイ派。しかし主イエスから見ると、「彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで実行しない」からだという。なぜなのか。
ファリサイ派の律法の専門家は主イエスに質問しました22:36。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」。主イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい」律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
律法とは何ですか? 「神さまを愛すること、そして隣人を愛すること」そうすると、律法を守るのは、神さまを愛するから、そして隣人を愛するために、守るということになります。愛するから、神さまの掟を守るのです。しかしファリサイ派の人々は、愛が忘れ去られ守ることだけになってしまった。そして弱者を裁いていく。
彼らは、5節「そのすることは、すべて人に見せるためである」自分が立派で偉い人であるかということを、人に見せるために、律法を守り、敬虔な信仰者を装う。そして「先生」「善人」といわれることを好む。上座に座ることを好む。自分が高められることを好む。
律法を守っているから信仰者である。何々ができるから立派な善い人である。そこに神様の愛、隣人への愛はありません。私達は、守れない欠けたものである。弱い隣人を愛すること、そこに神はおられるのです。水は高いところから低いところに流れるのです。神さまのめぐみも同じです。神を見たいと思うなら低くなることです。
- ご連絡 (2024-01-01 17:44:01)
- 覚えてお祈りください (2023-10-22 06:55:49)
- 2023年9月17日「神の国はあなたの中に (2023-09-17 04:59:01)
- 2023年9月10日 「主に命を委ねます」 (2023-09-10 06:10:07)
- 2023年9月3日「御言葉の種を蒔き続ける」 (2023-09-03 05:09:24)
- 2023年8月27日 「子羊を守る」 (2023-08-27 06:55:13)
- 2023年7月16日「弱者の目線に立つ教会」 (2023-07-16 06:28:24)
- 2023年7月9日 「金で神の恵みを買う者たち」 (2023-07-09 06:43:30)
- 2023年7月2日 「この喜びを多くの人々に語りたい」 (2023-07-02 05:27:56)
- 2023年6月25日「主の名によって立って歩く」 (2023-06-25 05:17:17)