本日の聖書 コヘレトの言葉3章1〜11節
「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時、殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時、泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時、石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時、求める時、失う時/保つ時、放つ時、裂く時、縫う時/黙する時、語る時、愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」
宣教題 「すべてのことに時がある」 北村 紀一
コヘレトは、それぞれのことにはそれぞれの時が定められており、すべてのことは、「時」というものに支配されていると言います。時が来なければ種をまいても実らないし、時が来なければ花を咲かせることもありません。
私たちが生きる上で、豊かに充実して生きるためには「その時」を知る必要があります。「定められた時」は実に「神の時」であり、それを知ることは「人の子の務め」(10節)なのです。しかし、それを見極めても、なお、人はその時のすべてを知ることはできないけれども、人には「永遠を思う心」(信仰)が与えられており、「神はすべてを時宜にかなうようにされている」のです(11節)。
では私たちは、「神の時」を知るものとして生きるにはどうすればよいのでしょうか。それは、「喜び楽しんで一生を送ること」だとコヘレトは言います。これは、神さまを思わないで好き勝手にすることとは違って、神さまの支配の中にあることを認識した上で、神さまに信頼して、神さまに感謝して生きる時に、目が開かれて神さまの恵みの中に生かされている喜びを知ることができるのです。自分の無力と神さまの永遠を知る時でもあります。
さらに、ここで興味深いのは、その楽しみは労苦の反対側にあるのではなく、労苦の中にこそあって、労苦によって得られるものだと言うことです。これが、コヘレトが伝える「信仰の知恵」です。
そして、それは「神を畏れ敬う」(14節)ことから生まれてくる、と言います。それが、「定められた時」を生きる人間の定めだというのです。私たちは「神の時」を見る証人として、労苦を喜び、主にこそより頼むべき者として、神が与えてくださる祝福・恵みの中で生きていきたいものです。
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