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礼拝説教要旨
礼拝説教要旨 : 2011年9月4日 「神の国はあなたの中に」
投稿者 : church 投稿日時: 2011-09-04 07:14:32 (2270 ヒット)

聖書 ルカによる福音書17章20〜21節


ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」


宣教題 『神の国はあなたの中に』 



ファリサイ派の人々が、主イエスに対して「神の国はいつ来るのか」と尋ねました。主イエスは「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と答えられました。


心の目を開いて、よく見るならば神の国は、もう既に、あなたのそばに来ているのだ、と言われている。主イエスの福音を聞いて、主イエスの奇跡の業を見る時に、神の国は、ここにあると確信できるのです。つまり、あなたの中に神の国を確信できるのです。


問われているのは、主イエスを通して現わされる神の国を、どのように、あなた自身が受け止め、感じ取るか、ということが大切なのです。主イエスの福音を二人の人が聞いても、一人は、「神の国が来ている」と受け止め、もう一人は「神の国など信じられない」と思うのです。



この世を生きる限り、誰にも艱難辛苦があります。この艱難が、苦しいだけで何の意味も無いとしたら、艱難に耐えることの意味とは何でしょうか。それよりずるがしこく生きる方が得に思えてしまう。熱く過酷な砂漠の先に水をたたえた泉湧くオアシスがあると確信するなら、歩くことにも意味があり耐えられるでしょう。


主イエスと共に歩むならば、今の苦しみも意味の無いものではありません。信じて歩むなら苦しみの先に神の国の喜びがあります。今のあなたの苦しみは、大きな喜びが待っている産みの苦しみなのです。艱難は苦しみではなく試練に変わるでしょう。

 


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