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090-8801-0111
(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2018-03-04 06:53:01 (702 ヒット)

2018.3.4きんたメール第598号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「弱くても強い・・・」〜主が一緒にいてくださるから〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。

  さて、ものすごく不器用ですが、まっすぐで能力のある人が、ある時、心が疲弊して10年間動けなくなりました。その人にとってはとてもきつい時間でしたが必要な時間でもありました。しかし周りからは、その10年が逆に弱さのレッテルとされて、さらに追い打ちにあっているのでした。

  日本の多くの組織は、組織の色に染まれる人が優遇され、能力が高くても異色の人には、よくわからない理由を正当化して出る杭はたたくようなことをします。色々な色があるから可能性も広がるのに同じ色しか駄目みたいな暗黙の基準で従わせようとします。当時のユダヤの議会もそうでしたが、神さまのご計画よりも自分の都合が優先している姿が浮き彫りにされています。

  しかし、そこで打ちたたかれて、十字架にかけられて倒れたとしても、立ち上がる力(復活された主)が共にいてくださるのです。だから、気付いてほしいのです。本質を見れば、乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、見えない根が養分を求めて伸びていたことを。そして耐え難いような痛みと苦しみの中で、養われてきたからこそ磨かれている素材となることを。

  つまり、この人の10年は無駄な時間ではなく、人として深みが増すための時間だったのです。主の愛こそが救いであり、主が一緒にいることで安らげる恵みを知った人は幸いです。痛みを負った人は、痛みを負った人の立場に立つことができるので、主の愛によって豊かに用いられるのです。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタイ11:28〜30

  十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。行事予定:3/25受難週、3/30受難日、4/1復活祭(イースター)、5/10昇天日、5/20聖霊降臨日(ペンテコステ)

  祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-25 07:24:41 (714 ヒット)

2018.2.25きんたメール第597号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「へりくだるという選択・・・」〜不自由から自由へ〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。

  さて、私たちは自分ではどうにもならないほど弱っている時、その時の気持ちに共感してもらえると癒されます。しかし、見下されたり、心ない言葉によって、さらに傷つくこともあります。

  「心」があるかないか、「いのち」があるかないかで、癒されもするし、傷つくこともあるのではないでしょうか。受け止めて共感してくれるところに「心」や「いのち」を感じるのです。そこに働かれている主を見るのです。

  人と人の間にある隔たりを自由に超える「いのち」の源は「十字架の愛」以外にありません。「へりくだる」ことなしに「愛する」ことはできないからです。

  自分を高めようとしたくなるのは、自己防衛本能がそうさせるのですが、反面いつも不安であるということをアピールしているようなことです。それだけに囚われてしまうとむしろ不自由になってしまいます。

  わたしも自分中心の牢獄にいる一人ですが、そのような自分中心の牢獄から救い出してくださる主によって、へりくだる自由さを学び続けることができるのです。なぜなら神さまの愛によって見える世界が変わり、不自由から自由にされるからです。弱さがなくなるわけではありませんので、弱さに対しても受け入れていく器が拡げられますし、すばらしい宝ものを見つけることができるのです。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」フィリピ2:3〜8

  十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。

祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-18 07:08:09 (707 ヒット)

2018.2.18きんたメール第596号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「思いもよらない姿となった救い主・・・」〜誰が信じたのでしょうか〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。今日も1日主が共にいてくださいますように。

  さて、受難節に入りました。今年のイースターは4月1日です。私たちの目には「思いもよらない姿」となって、「救いを完成」されました主に感謝します。神さまの身分でありながら、何も持たない姿となられて、すべての痛み、すべての病を担ってくださいました。

  社会的な力や地位や名誉に頼らず、使わず、ただ神さまの愛を伝えて、実際に愛することを貫き通されました。この姿によって、私たちは本当の愛を知るようにされたのです。

  このような御業を誰が信じたのでしょうか。残念なことに誰も信じませんでした。なぜなら私たちは「見た目」に惑わされやすいからです。このように思いもよらない姿となられた主を誰が信じたのでしょうか。誰も信じませんでした。しかし、それは私たちの痛みと病を負うためだったのです。それなのに私たちはそんなことを思わずに神さまを軽蔑し無視していたのです。

  主はみんなに虐げられ、見下されました。誰も神さまの御心に目も止めませんでした。わたしたちの弱さをご存知の主は、それにも関わらず、十字架に架けられてまで、すべてを身に引き受けてくださったのです。そのことによって、私たちは目からうろこが落ちるように、見た目ではなく「本物の愛」「本物の赦し」を知ることができたのです。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠しわたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに。わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるの、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ53:1〜5

  十字架の愛が私たちの心の土台となるように。そのためにいつも、覚えて過ごすことができますように。特にイースターの時まで主の受難を覚えてまいりましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。

祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主

 


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-11 06:59:18 (1306 ヒット)

2018.2.11きんたメール第595号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「見えない宝?・・・」〜分けたら増えるのが思いやり〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。あなたの愛するお一人ひとりの上に、特に自分は愛されていないのではないかと思い、孤独の中にいますお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますようにいつも導いてください。主が共にいてくださいますように。

  さて、今年は雪の影響が多いですね。福井県では大雪の影響で3日間も車が立ち往生せざるを得ない状態になりました。そこに居合わせた方々にとってはどうすることもできない状況でした。空腹と極寒の中、不安と共に大変な思いをされたことと察します。主の癒しと平安が豊かに注がれますように。

  そのような暗闇の中、希望の光が差し込むような出来事もありました。分けたら増える思いやりが輝いたのです。同じようにそこで立ち往生した山崎パンのトラックが動けないことを確認すると荷台のパンを解放したのです。またその立ち往生している通りのラーメン屋さんが無料でラーメンを提供したり、自衛隊の援助活動など、「思いやり」が「大きな力」になりました。

  非常に大変な中にありながらも、温かい思いで心が満たされたのではないでしょうか。弱っていた心は強められたのではないでしょうか。この温かい思いがどれだけ支えになったのか。経験された人にとってはすごい宝になったことと思います。なぜなら同じようなことがあったときに、その宝が力になるからです。

  この見えない宝こそが、「十字架の愛」による主の恵みであり、その見えない力が豊かに働かれていることを確認できるのです。その恵みに目が開かれていくことがすごく大事であり、求めていく必要があるのです。

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。」エフェソ1:17-18

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」コリント二4:18

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。

祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


投稿者 : church 投稿日時: 2018-02-04 09:20:39 (726 ヒット)

2018.2.4きんたメール第594号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「痛みを知っている人・・・」〜心を開いて話せる人はいますか〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。2月に入りました。1月の月日が守られましたことに感謝します。2月の月日もそれぞれあなたの愛するお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますように導いてください。主が共にいてくださいますように。

  さて、身近な人でとても元気な人がいます。しかしその元気な人が精神的負荷で疲れて半年ほど休養されました。元気な人が元気でなくなるのですから、相当負荷のかかることが、その人の中に起こったということです。

  人生にはいろいろなことがあります。そんな時に心を開いて何でも話せる人がいれば、心の重荷は軽くなるのですが、実際は中々心を開いてすべてを話せるかと言うと、そんなに簡単ではないのです。

  なぜでしょうか。弱さを認めたくないというプライドもそうでしょうし、弱みにつけこまれた経験をしたりすると、それだけでも話そうとしなくなります。私もそういう状態のときにそうでした。でも一方で心を開ける場所を求めているのです。主はすべてをご存知です。

  それだけ傷ついている状態と言えます。だから本当の癒しが必要なのです。その痛みを知っている人が必要なのです。痛みを知っている人、病を知ってる人。十字架にかかれられた主がそうなのです。この方こそがあなたを癒します。

あなたを大切な人として受け止めてくださり、最善へと導いてくださるからです。

  そして、癒された人は痛みを知った分同じように癒す力も与えられていくのです。弱っている人、窮地に立っている人をバカにしたり無視したりするのではなく、よき理解者にされていくのです。痛みを知っているからです。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ書53:1-5節

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。

祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

  それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主


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