『生きるにしても死ぬにしても』〜主の愛の中にいる〜

投稿日時 2025-09-07 06:34:51 | カテゴリ: ニュースレター

  2025.9.7きんたメール第986号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言


『生きるにしても死ぬにしても』〜主の愛の中にいる〜


敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。9月に入りましたが、秋になっても気温が高いのは、気候変動による温度上昇に加えて、偏西風と高気圧の影響があると言われています。昨年同様に10月まで暑い日が続く可能性もありますね。対策しながら、それぞれの与えられています状況の中でいつも主の恵みに気づかせてくださいますように。イエスさまの十字架の愛によって、主と共にある祝福で満たされますように。


 さて、偏西風の影響があると言われますように、風は目には見えません。イエスさまは、ヨハネの福音書3章で「風はその思いのままに吹き、その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くかは知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」と言われています。


 風は誰にも支配されず、思いのままに吹きます。同じように聖霊さまもまた、自由に働き、人の予想を超える素晴らしい出来事を起こすことがあります。


 そのようにイエスさまの十字架の愛に触れると、わたしたちは深くて大きくてすべてを覆う神さまの愛を知るのです。これも聖霊さまの働きによるのです。


 聖霊さまは人を新たに立ち上がらせたり、神さまとの関わりを回復させたりする生きる力を持って働かれているのです。


 神さまに心を向けることは、生きるか死ぬかだけに縛られやすいわたしたちが、葛藤したとしても、生きるも死ぬもその中にあることに気づかされていくのです。


 ここに自分の狭い思いからも自由にされて、マイナスもプラスに変えられる知恵が与えられるのです。神さまの御心のままになることこそが最善であることに聖霊さまが働かれるので、葛藤しても、気づかされていくのです。


 だから、まず神さまに心を向ける生き方を求めて、目指し続けていきましょう。


「私たちは、自分のために存在しているのではなく、主のために存在しているのです。 私たちは主のものであり、生きるにしても死ぬにしても主に従うのです。 キリストが死んで復活したのは、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリストが私たちの主となられることでした。」ローマ人への手紙‬ ‭14‬:‭7‬-‭9‬ ‭JCB‬‬


 まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。


 ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。


 どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。


 ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主






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