2025.4.27きんたメール第969号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『大切を大事にする生き方・・・』〜認知症から学ぶ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。イースターによって、わたしたちの人生の中で避けられない暗闇や絶望の時があっても、そこにも愛そのものである主が一緒におられますことが、光であり希望であり復活であり救いであることがわかりました。そして6月8日はペンテコステですね。復活の主が、お助けマンである聖霊さまを注いでくださいますことを覚えて過ごしたいと思います。いつも一緒におられます主の十字架の愛と復活を讃美しましょう。あなたは神さまに愛されています。
さて、認知症の問題は身近になっていますが、医学的にも心理学的にも、まだまだわからないことだらけですね。付き添いで3ヶ月に1回病院に行っても、記憶テストして様子をみて薬を出すことまでしか、今は病院もできないのです。
わたしの母も認知症で、「今を生きる」生き方になっています。ある意味、今日のことは今日と言う今を生きることが大切で、明日のことは明日になってからのことなのです。
目的や目指すゴールに向かうために先のことまであれこれ考えたりする生き方のわたしにとっては学ぶべき生き方なのです。
チームや組織であれば対話しながら、目的に向かって確認して前に進むことができますし、そのための先の約束を交わしたりしますが、約束することが難しいし、世界観の違う対話であっても、背景や思いを理解し合うこと目指すと、尊重し合う姿勢が必要であることもわかっているのに対話ができない時はイライラしてしまうのです。
でも、本人のせいではないのですよね。本人も理解しようとしているのに、認知機能がそうはさせないように働くわけなのです。この認知機能への対策が医学的にも心理学的にもまだまだ解明できていないと言う状況なのです。
ただ、心理学的なことで言えば、認知機能は衰えても、感情は衰えないので、自分が大切にされているのか否かは判断できるのです。
だから、この大切にされているのか否かが大事なのです。自分が大切にしてもらえたらうれしいように、相手が大切にされていると感じることが大事なのです。大切と大事の連発ですいません。
しかし大切を大事にする生き方は、わたしたちが関わる関係の土台となるように目指す生き方ではないでしょうか。なぜならば、神さまがわたしたち1人ひとりを大切に思ってくださるからです。認知症からも学ぶことが溢れているのです。
「人からしてほしいと思うことを、そのとおり、人にもしてあげなさい。これがモーセの律法の要約です。」マタイの福音書 7:12 JCB
十字架の愛に感謝いたします。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。あなたの上に主による知恵と聴く耳が開かれますように。
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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