2024.9.29きんたメール第939号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言
『イエスさまの弟子になる・・・』〜それは最高の宝物を見つけたようなこと〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。能登半島での災害や戦乱の影響や、さまざまな困難の中におりますお一人ひとりの上に主の癒しと必要で満たされますように。世界中にたった1人しかいないそれぞれの特別なわたしたちが、互いに尊重しあい理解し合う姿勢と知恵で満たされますように。何があっても変わらない主の愛に感謝いたします。
「それから、弟子たちに言われました。『だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。 』」(マタイの福音書 16:24 JCB)
さて、みなさんはイエスさまの弟子になることにどんなイメージをお持ちでしょうか。何となく抵抗を感じる人もいるのではないでしょうか。
では何が抵抗させているのでしょう。わたしたちの中にある自己中心ではないでしょうか。神さまを忘れてしまうもっとも簡単な方法は自己に心が捕らわれることだからです。
子どもに「わがまま」を教えなくても簡単に実行できるように、普通に持ち合わせていますよね。と言うことは「弟子になる」「仕える」と言う選択はわたしたちにとってはむしろ自然ではないのです。
しかし、世の中でも師のもとで学びたいと思う人は心が動かされて自分から求めていきますよね。まさに十字架の愛に触れるとわたしたちは心が動かされます。感動とは感じて動くと言われますように、自主的に選択したくなるのです。それが神さまの愛に応答しようとする恵みなのではないでしょうか。
さらに主が共におられることこそが宝であることに気づいた人は、神さまの恵みに溢れていることにも気づくのではないでしょうか。
「神の国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。見つけた人はもう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。」マタイの福音書 13:44 JCB
それくらいの宝であるのに、なぜか気づかないのは、心が違うことに向いているからです。
そんな灯台下暗しのようなわたしたちのために十字架にかかられた主は、気づくようにと、それぞれの場所に教会を備えてくださいました。
そして、気づかせていただいたわたしたちの食事は自分を満たすことではなく、まわりを満たすことに変えられるのです。どう言うこと?と思うかも知れませんが、私たちの食べ物は神さまに仕えること、喜ばれること、愛することなのです。神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。
あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
「それから、弟子たちに言われました。『だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。 』」(マタイの福音書 16:24 JCB)
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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