2023.5.7.きんたメール第865号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『十字架の愛』〜自分を取り戻すチカラ〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。観光で賑わう能登半島で大きな地震がありました。被災されましたお一人ひとりの上に癒しと復興が成されますように。あなたは大切な存在です。それぞれお一人ひとりの上に人生を豊かにする知恵で満たしてくださいますように。主の祝福が豊かにありますように。
さて、わたしの母は初期の認知症と判断されて1年くらいになりますが、「物忘れ」だけではなく、「理解力」にも影響が出てきたり、「現実」と「テレビの内容」や「昔の記憶」や「思い込み」が混同するような時もあります。個人差があるものの、症状の一つひとつなのでしょう。
一見、対話ができているように思いますが、今、話していた内容の理解ができなくなってきたために、何度も確認しようとすることが増えてきました。
はじめは冗談なのかと思っていたのですが、本人は理解しようと何度も何度も繰り返し確認してきます。本人なりに理解しようと頑張っているのです。しかし同じ説明をしているにもかかわらず、しばらくするとなかったように忘れてしまうので「えっ何で」とショックとわたし自身が不安になってしまうストレスでイライラしてしまうのです。
母の立場になって寄り添えればいいのですが、自分の感情が1番になるとストレスになるため、ストレス発散の含んだ言葉が出てしまいます。そして、あとになって胸が痛みます。頭でわかっていても、どこかでわたし自身が受け止められなくて、ストレスが態度と言動を支配して繰り返してしまうのです。
ほとほと自分の弱さが身に沁みます。十字架の愛を忘れてしまうと、自分の感情が1番になることがわかりますし、頭でわかっていても、受け止めたくない思いが溢れてしまうのです。処理しきれないので、周りに相談しながら学んでいる過程です。
このように感情があるのが普通なので、それ自体は問題ないのですが、大事なのは感情を理解してくださいます神さまに心を向けられるように求めることと、十字架の愛を思い起こさせてもらえるように求めることですよね。そして母を理解できるように、そのまんまを受け止められるように求めていきたいと願います。
だから「十字架の愛」が心にあることは恵みであり宝なのです。わたしの視点や受け止め方や世界観が大きく変えられるからです。十字架の愛は、自分を取り戻すことができます。なぜならば、こんな自分のために十字架にかかってくださった主の愛に包まれるからです。
イエスさまが十字架にかかられた時に味わった恐怖、苦痛、みじめさ、孤独などを凌駕する愛は、自分にとって受け止めきれない思いに向き合う(十字架)になり、ほんの少しですが、イエスさまの思いに触れられるからです。
「十字架の愛」を忘れさせてしまう「自分の感情1番」によって、縛られてしまう状態から自由にしてくださいます主に心を向けさせてください。
「それから、弟子たちに言われました。「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。」マタイの福音書 16:24 JCB https://bible.com/bible/83/mat.16.24.JCB
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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