2021.11.14きんたメール第788号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
『不信の根っこ・・・』〜神さまの目線で見ると〜
敬愛する皆さま、いつも、ありがとうございます。今年は11月28日から待降節(アドヴェント)に入ります。この日から、クランツのろうそくに毎週1本ずつ灯が点され、4本目のローソクの灯が点るとクリスマスです。クリスマスの意味を理解しながら過ごしていきたいと思います。皆様の健康が守られますように。1人ひとりの必要をご存知の主が豊かに導いてくださいますように。
さて、最近は野良犬を見なくなりましたが、少し昔は河川敷などにいくと、毛並みもうす汚れて、やせ細った野良犬がいました。
人間側のさまざまな理由があるにしても、結果、人間に裏切られて、捨てられて心が傷だらけで人間不信になっていた犬たちの逃れ場、居場所になっていたのです。
だから人間が近づくとハグキを剥き出しにしてうなってきます。まるで「近づくな」「かまわないでくれ」「ほっといてくれ」と言わんばかりに。
その「不信」の根っこには何があるのでしょうか。痛み、失望、不安と恐れ、怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみなどなど、心が休まらない状態が渦巻いているのでしょう。そのもっと奥には「わかってほしい」「愛してほしい」「大事にしてほしい」「安心したい」なのではないでしょうか。
だからこそ、そうではない現実の前でハグキが見えるくらい叫んでいるのです。わたしたちも同じような心境になることがあります。
聖書のマルコ5:2〜8にはゲラサの人が出てきます。誰も近づかないような墓場を住まいとし、自傷行為をし、誰かが近づくと野良犬のように凶暴さを見せて近づかないようにと、傷だらけの心と人間不信を露わにされるのです。
周りから見たら、頭のおかしな人に見えるかも知れません。しかし神さまから見たら、その人の必要は痛みの理解と癒しです。力づくで縛って抑え込むよりも、そのまんまを丸ごと抱きしめてもらえるような安心の居場所と温もりが必要なのです。
見た目で惑わされやすいけど、神さまの目線に焦点を合わせたら、その人がどれだけ傷だらけなのかに気づくのではないでしょうか。自分がそのような状態の時に、どうしてもらえると嬉しいのでしょうか。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」マタイ11:28
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの「愛」と「知恵」を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら、神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へご連絡ください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かに注がれますように。主が共にいてくださいますように。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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