2018.11.4きんたメール第631号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「どこを見るのか・・・」〜隠れている気持ちのところに〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。秋も深まりつつありますが、寒暖差がありますので、どうぞ、ご自愛くださいますように。また被災地復旧の中、心身に負荷がかかって不安とストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように守ってください。
さて、最近は精神的な負荷を抱えやすい時代と言えます。一人で抱えやすい人は特にそうです。そのような状況の中で、誰かと比較して自分ができないと、自分を責めてしまう人がいます。そのところだけに目がとられてしまう状態で、一点集中して、それがすべてかのように思いこんでしまうのです。それ以外は目に入らないのです。
そこにある「気持ち」をないがしろにして、できないところだけをみてしまうと、自分で自分を責めて傷つけてしまうことになります。そこにある気持ちをないがしろにされたとき、人は傷つくからです。
私のワンパターンの表現ですが、足を骨折している人に対して、誰も走れとは言いません。必要なのは手当やフォローで、走れない状態を責めることではありません。自分を責めることも同じことが言えます。負荷がかかりすぎてしまうと「うつ」状態になるのが普通です。
そこにある気持ちとは、情けない気持ち、悔しい気持ち、苦しい気持ち、つらい気持ちなどです。誰にもわかってもらえなくて苦しんでいるその気持ちを理解してもらえると、人は癒されます。自分で自分につらかったね。よくがんばったね。落ち込んでもいいよ。それでも見捨てないよ。などのいのちある言葉を自分にかける。気持ちに目を向けて理解する。それが心の絆創膏の貼り方なのです。
「わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。苦悩にわたしの目は衰えて行き/わたしを苦しめる者のゆえに/老いてしまいました。悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き主はわたしの嘆きを聞き/主はわたしの祈りを受け入れてくださる。詩編6編7〜10節
ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝後に交わりの時があります。
祈り:アルマ姉のお母さまの癒しがありますように。導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の働きを祝福してください。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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