どこに心をおいていますか・・・〜自分にとって狭い門に自由がある〜

投稿日時 2018-09-01 23:57:32 | カテゴリ: ニュースレター

 2018.9.2きんたメール第622号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「どこに心を置いていますか・・・」〜自分にとって狭い門に自由がある〜

  敬愛する皆様、いつも、あり2018.9.2きんたメール第622号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「どこに心を置いていますか・・・」〜自分にとって狭い門に自由がある〜

  敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。9月に入りました。8月もいろいろありましたがそれぞれが守られましたことに感謝します。9月の月日も「一緒」にいてくださいますことを心から感謝します。残暑もありますので皆様におかれましてはご自愛くださいますように。西日本・東北の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。

  さて、生きることはいろいろなことがありますよね。それで「自分の思い」という器からちょっとでもはみ出してしまうと「不安」や「恐れ」がすぐに増えてしまうという人も多いのではないでしょうか。

  そんなときのそれぞれの対処法があるのだろうと思いますが、いかがでしょうか。「自分の思い」という器とは、自分の思い通りにいかないときのことになります。それでも力で思い通りにしようとする人もいますし、不平不満でいっぱいになってコントロールできなくなってしまう人もいますし、どうせダメなんだとあきらめ癖を身に着けてしまっている人もいますし、そこから目線をちょっと変えてみるだけで思わぬ知恵をみつける人もいます。

  本当に様々な対処の仕方を身に着けているようです。上記の人はすべて私のことですが、それぞれ経験してきた中でどれが一番難しいことかなと言えば、そこから知恵をみつけることだと思います。一番目が向きにくい選択(狭い門)ですが、一番心によいことだったのです。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」マタイ7:13

  「自分の心」を自分中心に置いておくと、当たり前ですが都合が悪ければ不平不満が支配します。そんなときに(狭い門である)相手のところに心をおいてみると、その人の状態が見えてきますので、全然違う感覚になるのです。心の置き場によって、世界は大きく変わってしまうのです。

  「自分中心という牢獄」は自分中心にしか見えなくするので、視野が狭くなってしまいます。その場所からでることができないようにされているのですが、そのことにも気づかなくなってしまうのです。そうすると対話も偏ってしまって自分の主張や自分を守ることだけが目的のようになってしまいます。本人は自分で自分を守っているように錯覚するのですが、かえって守れないということを味わうのです。それで誰かのせいにして片付けようとします。

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。自分で得ようとするものはかえって失うのである。」マタイ16:25

  と言われているとおりです。どうか、いつも主にこそ心が向きますように私の目を開いてください。

  ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。

祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主

がとうございます。9月に入りました。8月もいろいろありましたがそれぞれが守られましたことに感謝します。9月の月日も「一緒」にいてくださいますことを心から感謝します。残暑もありますので皆様におかれましてはご自愛くださいますように。西日本・東北の被災地で暑さとストレスの中にあるすべての人の上に主の癒しと平安が共にありますように。

  さて、生きることはいろいろなことがありますよね。それで「自分の思い」という器からちょっとでもはみ出してしまうと「不安」や「恐れ」がすぐに増えてしまうという人も多いのではないでしょうか。

  そんなときのそれぞれの対処法があるのだろうと思いますが、いかがでしょうか。「自分の思い」という器とは、自分の思い通りにいかないときのことになります。それでも力で重い通りにしようとする人もいますし、不平不満でいっぱいになってコントロールできなくなってしまう人もいますし、どうせダメなんだとあきらめ癖を身に着けてしまっている人もいますし、そこから目線をちょっと変えてみるだけで思わぬ知恵をみつける人もいます。

  本当に様々な対処の仕方を身に着けているようです。上記の人はすべて私のことですが、それぞれ経験してきた中でどれが一番難しいことかなと言えば、そこから知恵をみつけることだと思います。一番目が向きにくい選択(狭い門)ですが、一番心によいことだったのです。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。」マタイ7:13

  「自分の心」を自分中心に置いておくと、当たり前ですが都合が悪ければ不平不満が支配します。そんなときに(狭い門である)相手のところに心をおいてみると、その人の状態が見えてきますので、全然違う感覚になるのです。心の置き場によって、世界は大きく変わってしまうのです。

  「自分中心という牢獄」は自分中心にしか見えなくするので、視野が狭くなってしまいます。その場所からでることができないようにされているのですが、そのことにも気づかなくなってしまうのです。そうすると対話も偏ってしまって自分の主張や自分を守ることだけが目的のようになってしまいます。本人は自分で自分を守っているように錯覚するのですが、かえって守れないということを味わうのです。それで誰かのせいにして片付けようとします。

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。自分で得ようとするものはかえって失うのである。」マタイ16:25

  と言われているとおりです。どうか、いつも主にこそ心が向きますように私の目を開いてください。

  ぜひ、ご一緒に教会で神さまの愛を確認しましょう。あなたは愛されるために生まれた人です。私たちは不完全な者ですが、不完全ゆえに赦し合い、助け合いながら神さまの愛に生きる人として成長していきたいものです。いつも主にこそ目を向けていく恵みで満たされますように。そのために十字架の愛を忘れることがないように助けて導いてください。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。

【板橋教会】・・・今週は礼拝後、交わりの時があります。

祈り:導かれた新来者の救いのために。のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。

それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主






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