2018.2.4きんたメール第594号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「痛みを知っている人・・・」〜心を開いて話せる人はいますか〜
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。2月に入りました。1月の月日が守られましたことに感謝します。2月の月日もそれぞれあなたの愛するお一人ひとりの上に、いつも「主の愛」と「平安」で満たしてくださいますように。何より「十字架の愛」を与えてくださいました主を忘れることがないように、「感謝する心」と「正しく判断する知恵」と「誠実な姿勢」を求めていくことができますように導いてください。主が共にいてくださいますように。
さて、身近な人でとても元気な人がいます。しかしその元気な人が精神的負荷で疲れて半年ほど休養されました。元気な人が元気でなくなるのですから、相当負荷のかかることが、その人の中に起こったということです。
人生にはいろいろなことがあります。そんな時に心を開いて何でも話せる人がいれば、心の重荷は軽くなるのですが、実際は中々心を開いてすべてを話せるかと言うと、そんなに簡単ではないのです。
なぜでしょうか。弱さを認めたくないというプライドもそうでしょうし、弱みにつけこまれた経験をしたりすると、それだけでも話そうとしなくなります。私もそういう状態のときにそうでした。でも一方で心を開ける場所を求めているのです。主はすべてをご存知です。
それだけ傷ついている状態と言えます。だから本当の癒しが必要なのです。その痛みを知っている人が必要なのです。痛みを知っている人、病を知ってる人。十字架にかかれられた主がそうなのです。この方こそがあなたを癒します。
あなたを大切な人として受け止めてくださり、最善へと導いてくださるからです。
そして、癒された人は痛みを知った分同じように癒す力も与えられていくのです。弱っている人、窮地に立っている人をバカにしたり無視したりするのではなく、よき理解者にされていくのです。痛みを知っているからです。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ書53:1-5節
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひお近くの教会(十字架が目印)へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・今週は礼拝前に子ども会、礼拝後に交わりの時をもちます。どうぞ、お越しください。
祈り:のだ姉の歩みの上にいつも主が共にいてくださり主の平安が共にありますように。またあかや兄の歩みを祝福してください。なかじま兄の健康が護られますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。
それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。栄光在主
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