2017.2.5きんたメール第542号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「自分の十字架を背負って・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。2月に入りました。主が共にいてくださいますように。それぞれお一人ひとりが日々の生活の中でいろいろと負われていることが多いと思います。神さまから離れさせようとする働きは、私たちの弱いところに強い力で迫ってきますが、そんな時こそ、惑わされないように、いつも主にこそ心を向けることができるように助けて導いてください。共に祈りましょう。インフルエンザが猛威をふるっています。手洗い、うがい、マスク着用などの対策もお忘れなく!今病の中にある方の上には癒しと平安が共にありますように。
さて、性同一性障害という、心と体の性が一致しないということで、つらい思いをされている人がいます。本人はご家族と取り巻く環境の中での葛藤があります。一番つらいのは、現実を伝えると受け入れてもらえないことです。自分をそのままで受け入れてもらえないことはつらいことです。もし、世間体や何かの基準であなたが拒否され、馬鹿にされたらどんな風に感じるでしょうか。
同じように誰しもが、「これを言ったら受け入れてもらえないのでは」と言うことがあるのではないでしょうか。
特に受け入れてもらいたいところで、受け入れてもらえないとしたら、絶望してしまうくらい本人は大きなショックを受けるものです。そのような経験をするとなおさら言えなくなるのが普通です。心の傷は深まってしまいます。主の癒しと平安が必要です。
だから本当はそのままで受け入れてもらいたいのです。まずは現実のありのままを受け入れてもらえる場所が必要です。そこが居場所になるのです。イエス様は私にそうしてくださっているのですから、私にとっても教会にとっても主に倣って器を拡げられるように祈り求めていく目指すべき課題になります。イエスさまの一番弟子のペトロさんも最初は世間体に惑わされていました。私は今もそうです。そんな自分を受け入れていくことも同じです。それぞれの共通する課題です。
「それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」マタイ16章24節
自分を捨てるというのは、今とらわれている目線をちょっと変えてみるということです。受け入れられない経験は、逆に受け入れるための糧になります。痛みを知ると、同じように痛みを抱えている人の気持ちがわかるのでやさしくなれるのです。また、受け入れられた喜びを知れば、受け入れてもらえたら、嬉しいという気持ちがわかるので、同じようにすればよいのです。
そのように痛みも喜びも器を拡げる恵みに変えてくださる神さまに感謝します。誰にも受け入れられないと思って絶望したとしても、主はあなたを受け入れてくださいます。主はあなたを決して見捨てません。その愛にふれると、私たちは変えられていくのです。痛みと言う自分の十字架を背負っていく力が与えられるのです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ教会へお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。主が共にいてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は板橋教会は、礼拝前に子ども会、礼拝後にお茶しながら交わりの時があります。ぜひ、お越しください。わたなべ兄の上に主の癒しと平安が共にありますように。のだ姉の上に平安が共にありますように。新保牧師、つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、なかじま兄、たつみ兄、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。あしや兄、たなか兄の働きを祝してください。もり兄、ふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。常盤台教会の上に、母教会である東京西教会の上に祝福が豊かにありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
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