当たり前・・・

投稿日時 2015-10-18 07:16:57 | カテゴリ: ニュースレター

 2015.10.18きんたメール第474号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。

「当たり前・・・」

敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。すっかり肌寒い気候になってまいりました。体調の変化もでやすい時期です。どうぞご自愛くださいますように。皆様の上に主の祝福が豊かに注がれますように。

さて、東京に戻ってきて「1か月ちょい」となりました。通勤通学で息子と同じ方面ですから、朝一緒に電車に乗ります。途中まで「一緒に行くこと」ができます。とても「幸せな時間」です。周りから見れば、なんてことのない光景ですが、この「なんてことのない光景」は単身赴任を経験できたことで「尊いもの」であることに気づかされます。

私たちの日常の「当たり前」のようなこと。これはすごく「幸せなこと」なのだろうと思います。何気ない普段の「当たり前」が「当たり前」でなくなった時に、「当たり前」だと思っていたことは「当たり前」ではなく「価値のあること」がハッキリわかります。お金では買えない尊いものなのです。

  でも、不思議なことに、しばらくすると、いつのまにか「当たり前」という「思い」が浸透してきて「感謝の感覚」を麻痺させて眠ってしまいます。

 「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」ペトロの手紙一5:8

それだけ目を覚ましていることは難しいことでもあります。ゆえに私たちは「十字架の主」にこそ目を向ける心(神の武具:エフェソ6:11)が大事なのです。主が一緒にいてくださる人生は幸せです。何よりも高価な宝物を発見したようなものです。「当たり前」ではないのです。だから感謝する「心」、正しく判断できる「知恵」、どのような時も「誠実さ」を求め続けることができますように。そのために御声に「聴く耳」を豊かに与えてくださいますように祈り合いましょう。

  どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。一緒に祈りましょう。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。

【板橋教会】・・・本日は、2015年41回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。新保牧師、わたなべ兄の健康が護られますように。子供たちの上に主が共にいてください。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。たなか兄の働きを祝してください。またふじむら姉の歩みの上に、祝福が豊かにありますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。  

  ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主

  すように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主






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