2015.7.26きんたメール第462号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「辛いは幸せ?・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。いつも、ありがとうございます。梅雨も明け、夏本番です。熱中症も多くなってきています。ほどよい塩分補給と水分補給を心掛けましょう。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆さまの心身共に健康が護られますように。
さて、物事の「受けとめ方」は一人ひとり、その人の今までの経験や置かれている状況によって様々です。だから、コップ半分の水を見て、「もう半分しかない」と受けとめることもできるし、「まだ半分もある」と受けとめることもできます。受けとめ方によって、心の元気も変わってきます。しかし、これだけだと限界もあります。そこで、より確かな受け止め方の本(もと:根本)を求めていく必要があります。
聖書は、世界で一番正しく伝承されている古い書物であり、毎年ベストセラーになっています。時を超えて、先人たちの「知恵」がたっぷり詰まっていますし、誰にでも分け隔てなく真の「知恵」を共有できるからです。この知恵によると、受けとめ方も、最終的には、自分の拠り所によって左右されることがわかります。何を信じるかです。
「辛い」のは誰だって嫌です。では受けとめ方で変えられるのでしょうか。辛い時、十字架を見上げると「幸せ」になります。「辛」の上に「十」をつけると「幸」になるのです。これは当て字ですが、不思議なことに、私たちはつらい現状の只中で、「十字架の主」に目を向ける時、いっぺんに変えられてしまいます。たとえ現状は変わらなくても、心は自由にされるからです。「主は必ず最善を成してくださる。いつも一緒にいてくださる。」だからお任せして、誠実に現実に向き合っていくだけです。心の荷を一人で抱えていたら疲れるけど、一緒に持ってもらえたら軽くなります。自分にとってつらいところだけを見ていた世界から、主が共にいてくださる世界に目が開かれます。それで心が「幸せ」になるのです。一人ではないからです。
受けとめ方によってというよりも、一緒にいてくださる御方によってそれ以外の受けとめ方が必要なくなるのです。時間がかかる場合もありますが、成長するため、またその時の気持ちを理解するため、そして何よりも主が共にいてくださることを確信するために、すべてが必要なのです。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は「命」を得ます。ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年29回目の礼拝です。今週は礼拝前に聖書教育、礼拝後に分かち合いの時があります。礼拝と交わりが祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福と信仰継承が成されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中。わたなべ兄は状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
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