2015.5.3 きんたメール第450号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「赦しの力・・・」
敬愛する皆様、いつも、ありがとうございます。板橋からです。ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。休みの方々も、そうでない方々の上にも主の祝福が豊かにありますように。
帰京し、久しぶりに昔の仲間と会食しました。近況報告と昔話や今後の夢などに花が咲いて、あっと言う間に時間が経ってしまいました。友達のありがたみを改めて感じています。
さて、現代病である「鬱」になる人も多くいます。私も「鬱」持ちの鬱経験者ですが、「鬱」を「うっちゃん」と友達のように呼んでいます。個人的な見解ですが、「鬱」は自分との関係がうまくいかないときに発生する症状です。背景的には、思い通りにうまくいかない、失敗した、関係が悪化した、孤立してしまったなどなど、そういった何らかの要因で、そんな「自分を赦せない」状態が続くと発生すると思います。つまり、自分が嫌い、情けない自分、弱い自分を排除したい、と、自分との関係がうまくいかない状態になっています。またはこんな風になったのは相手のせいだとすることもあります。
しかし、その状態が「不自由」になるため非常に苦しい。それで自暴自棄になり、お酒に走ったり、快楽に走ったり、とにかく逃避するもの向かおうとしてしまうのです。
それで、鬱の根本のところに目を向けると、自分で自分に何をしているのかと言うと、弱さを排除しようとすることで楽になろうとしています。まるで弱さを排除することが強いと勘ちがいしています。(イエスさまを十字架にかけることと同じです。)
本当の強さは、「弱さを受け容れること」(イエスさまが十字架に架かられる姿と同じ)です。その状態を嫌がらないで誠実に向き合うのです。これは大変難しいことです。できれば誰も苦しまないでしょう。でも、実際は知らない人が多いのです。
不自由な状態の時に、そこに目を向けることは難しいことです。向き合うなんてありえないこと、無理なことだと思っているからです。選択肢にさえ入っていないでしょう。でも、今まで何をしてもよくならなかったのですから、今までと違う選択をしていくことも大事です。だから、あえて向き合ってみればいいのです。ろくに話も聴かず、すぐ薬を出してしまう医者が多いのは残念ですが、本当に頼るべきは、神さましかいません。そんな私のために十字架にかかってくださった御方です。そこで教えられることは「赦し」です。
「赦し」にはすごい力があります。自分の中のもう一人の自分(弱い状態の自分=イエスさまの姿)に対して、裁いて追い出したら、それは苦しいだけです。しかし、なぜ、そこまで追い詰められてしまったのか、そのことで、どれだけ苦しんできたのかを理解し、受け止められたら、救われます。神さまが赦してくださったのだから、私が赦さなかったら、神さまに対して失礼になります。でも、難しいことなので神さまに祈り求めていくのです。求めれば与えられるからです。
「赦し」は「不自由」から「不」がはずされます。自分との関係改善になるすごい力です。鬱(うっちゃん)と友達になる、という、ありえないような選択をする「自由」も与えられます。
どんなときも主が共にいてくださる人生は「新しい力」を受けます。よき理解者が「一緒にいるだけ」で人は力を得ます。ペンテコステに向けて、ぜひ、教会にお越しください。あなたの上に主の祝福が豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年17回目の礼拝です。今週は礼拝前に子ども会、聖書教育、礼拝後にバイブルクラス、映画会があります。礼拝と交わりが祝されますように。辰巳兄の上に主の慰めと癒しが豊かにありますように。新保牧師はリハビリ継続中です。またわたなべ兄は放射線治療を終了し一時退院されましたが、状態が不安定で入退院を繰り返されている状況です。引き続き、主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。またふじむら姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。なかじま兄の北海道での生活が祝されますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
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