2015.2.1 きんたメール第437号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「朝顔のように・・・」
敬愛する皆様、福岡からです。寒さもましています。外出したら手洗い、うがいの励行を心掛けましょう。どうぞ、ご自愛くださいますように。皆様の上に主の平安が豊かに豊かに豊かに注がれますように。
さて、今回は「頼るべきもの」について考えてみたいと思います。昨日(土曜日)はお休みで一歩も外に出ないで家にいました。何をしていたかと言えば、午前中は朝7時すぎくらいから妹とメールをしていました。家内の妹です。妹は神さまが大好きですから、神さまやイエスさまの話をすると長くなってしまいます。お互いに受け取り方や感じ方は違うので、そういったことでも対話から気づきがあるし、耳の痛い話も平気で言い合えるので、家族の有難味を感じています。妹はどう思っているのかわからないけど、何となく信頼関係が育っているように感じています。そして、いつも家族のことや、一人でも多くの人が救われてほしいと考えて行動しているので尊敬しています。だから、家族についての話でも、長いやりとりになってしまいます。
さて、妹と話して気づかされたことは、人は何かに頼らなければ生きていけないということでした。この寒い時期に夏の花の話ですが、夏に咲く花に朝顔があります。朝顔はつるが伸びて成長していきます。しかし自分で自分を支えることができません。それで何でもいいから近辺の物に巻きついて、それを頼りにして伸びていきますし、陽が昇れば花が開きます。その朝顔の特徴を見ると、人も同じだな〜と言うことです。なぜなら人も何かに頼らなければ生きていけません。人は弱い存在です。
人生には不安や恐れや心配、いろいろと納得のいかない不合理なこと、不公平なこと、不公正なことがあります。それで何かあるとすぐに転んだり落ち込んだりします。それで、自分の頼りとするものがないとどうにもならなくなります。朝顔と同じように人は一人で立つことができないのが現実です。
だから、とにかく手当たり次第、何でもつかんで、これに頼んで、これでよしと安心したいと思うのです。これは当然であろうと思います。神様がそのようにお造りになられたからです。ただ頼るべきものを不確かなものに求めてしまいやすいのが問題です。お金だったり、人が造った石や木の像であったり、占いだったり、地位や名誉だったり、快楽だったり、お酒だったり、その場しのぎやごまかすための一過性のものです。
では、何に頼るべきなのか。それは本当に花(ありのままの自分)を咲かせてくださる御方にこそです。すべてをご存知の御方がおられます。私たちが本当により頼むべき御方はただおひとりです。その御方だけにより頼む。私たちのために十字架に架かられたイエス様です。この御方への信頼こそが教会の鍵です。この鍵こそが神の国の入り口です。主に出会う前の私は、自分を責め続けて生きてきました。主に出会い、私はそうせずにはいられなかった自分を受け入れることができるようになったのです。すべてを主はご存じで最善を成してくださることを知ったからです。その主が一緒にいてくださるからです。確かなものを知った新しい自分がはじまります。朝顔のように自分の思いを超えて、主により頼む心をこそ、主に信頼する心をこそ成長させてくださいますように祈り求めていきたいと思います。
それぞれの気づきが豊かにありますように。ぜひ教会に足をお運びください。皆様の上に主の祝福が豊かに豊かに豊かにありますように。
【板橋教会】・・・本日は、2015年5回目の礼拝です。新保牧師はリハビリ継続中ですが、今月から宣教されます。感謝します。またわたなべ兄は今月末から放射線治療のため1月29日入院しました。共に主の御手がふれてくださり完全に癒されますように覚えてお祈りください。また板橋教会に13年仕えてくださったふじむら姉に心から感謝します。これからの姉の歩みの上に、いつも主が共にいてくださいますように。祝福が豊かにありますように。故松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
|