2014.11. 30 きんたメール第429号。※きんたメールとは、板橋教会の週報をメールで送っている際に添えている板橋教会ホームページ担当のきんた(北村)の独り言です。
「恵みの目線・・・」
敬愛する皆さま 山口からです。今週は仕事のために山口下関に来ています。11月の月日が護られましたことに感謝します。迎えます12月の月日の祝福と今日から待降節「アドベント」です。クリスマスに向けて心を整えられていきますように導いてください。皆様の上に主の祝福が豊かにありますように。
さて、私が教会に導かれたのが28歳の時でした。人生に躓き、何を信じていいのかわからずに迷いの中にある時に、信仰の師である故新保清山牧師との出会いが与えられました。
とにかく牧師から語られる聖書の言葉に希望を感じて、毎日のように足しげく通い続けたものです。そういったこともあって、牧師の行くところには、どこにでも着いて行く機会も与えられました。サウナ、癌病棟、犬の散歩、いろいろなところに付いていきました。
印象に残っている中に「犬の散歩」があります。牧師の家には捨てられていた犬を含めて3〜4匹いました。自宅近くの志木の荒川土手に犬の散歩に行くのですが、そこに捨てられた犬たちが数匹います。その犬たちに餌をあげにいくのです。人間不信になっているので人が近づけば歯茎を剥き出しに唸っている犬たちにです。しかし、鬼のような形相の犬たちも牧師が行くと本来の顔になって、しっぽをふりながら寄ってきて餌を食べるのです。このときだけは人間不信が消えたような状態に戻ります。その犬たちを見ながら牧師は涙を流すのです。
野良犬を見て、「まるで自分を見ているようだ。」と涙を流すのです。もとヤクザの親分でしたから、人間の本質を見る機会も多かったのでしょうし、自分自身も野良犬のように扱われたり、人間不信の生き方をしてきた自分の姿が映し出されて、野良犬と自分を重ねて見るのです。そして犬たちを見つめる目線を通して、神様が自分を憐れんでくださっているという目線と重なるのです。
このように神さまの目線に重なる時、「目が開かれた」という言い方もできることを学んだのです。つまり、恵みの目線です。
「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」 ヨハネの黙示録7:17
「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」使徒言行録9:18a
傷ついた野良犬の正気を取り戻したのは「愛」でした。主の愛は本来の姿を取り戻させてくださるのです。主の目線を通して、様々な目線を共有できるような恵みの目線が与えられるようにと祈ります。
すべての教会が、それぞれの賜物を活かしながら相談しやすい教会となっていけますように。イエスさまとの交わりを証しできますように。今週も本当の命のパンであるイエスさまの恵みをいただいて、正しく判断できる知恵で満たしてくださいますように。
【板橋教会】・・・本日は、礼拝後、クリスマス飾りつけ、クリスマスチラシの配布があります。今週は48回目の礼拝です。松田兄のご家族の上に主の祝福が豊かにありますように。新保牧師、わたなべ兄、つのえ兄、なかじま兄、なかや兄、なかがわ姉、よこやま姉、みやもと姉の健康が護られますように。あらた兄の上に主の平安が共にありますように。それぞれのすべてをご存じの主が必要を与えてくださいますことを感謝します。祈りの課題がありましたら、お知らせください。一緒にお祈りします。
ご意見・ご要望は北村までお寄せください。今週も皆さまの上に主の祝福と平安が豊かにありますように。特に被災地の方々の上に主の癒しと慰めが、救援にあたっている方々の働きの上に主の支えが豊かにありますように祈ります。栄光在主
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