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板橋区仲町23−17
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(新保牧師携帯)
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投稿者 : church 投稿日時: 2012-03-25 07:23:48 (1181 ヒット)

本日の聖書 ヨハネによる福音書9:38〜39 

彼が「主よ、信じます」と言って、ひざまづくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」

宣教題 『神を知るとは自分を知ること』  牧師 新保雅雄

生まれついての盲人が、主イエスに癒されて目が見えるようになった。そのことを知ったファリサイ派の人が、真意を確かめる為、癒された人に「どうして見えるようになったのか」と尋ねた。彼は、自分が生まれつきの盲人であること、そして癒されたことの一部始終をお証しする

しかしファリサイ派の人々は、信じようとはせず、彼の両親を呼び出し、同じ事を尋ねた。両親は「彼が生まれつきの盲人であることは知っているが、誰が、どうやって息子を癒したのか分かりません。これ以上のことは、直接本人に聞いてください。」と言ってお証ししなかった。両親は、ユダヤ人社会からの締め出しを恐れていたからである。

ファリサイ派の人々は、再度、癒された盲人を尋問した。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が、罪ある人間だと知っているのだ」圧力をかける。しかし彼はファリサイ派の圧力に屈しない。前回以上に「あの方が、神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」と力強くお証しした。

ファリサイ派の人々は「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い彼を外に追い出した。結果的に彼は、ユダ人社会から罪人として追放されていく。しかし彼は、真実を語ることによって、神が見え、神と出会うのです。

社会の中で、主イエスをお証しする生活をおくる時、社会は、あなたを受け入れないかもしれない。その証しのために不利益をこうむったとしたら、それはイエス・キリストに、より近づいたことになるのです。

あなたにイエス・キリストは言われる。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」


 


 


投稿者 : church 投稿日時: 2012-03-11 05:42:15 (1182 ヒット)

本日の聖書 ヨハネによる福音書2章9節 

「世話役はぶどう酒に変わった味見をした。このぶどう酒がどこからきたのか、水をくんだ召し使い達は知っていたが、世話役は知らなかった」

宣教題 『栄光と信じる力』   牧師 新保雅雄

主イエスは、5人の弟子を選び、ガリラヤから神の国の伝道活動を始められました。途中カナで結婚式に招かれました。この結婚式には、主イエスの母マリアもお手伝いの為にきていました。

当時の結婚式は、一週間近くも宴会が続きます。その間、料理やぶどう酒は、相当な量が必要です。主催者は、充分に用意をしていましたが、宴会途中でぶどう酒が無くなってしまいました。

そこで母マリアが主イエスに「ぶどう酒が無くなりました」と相談しました。主イエス様は、召し使いに「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われました。水は清めに使う水がめに注がれました。

何も知らない世話役が味見をすると、良質のぶどう酒なので、宴会の後半に上等のぶどう酒をだした花婿をほめました。通常は、初めに良いぶどう酒をだして酔いが回った頃に、安物を出すからです。

この奇跡を知っているのは、新郎新婦や世話役でもなくお客様でもない、主イエスから指示され働いた召し使い達です。「このぶどう酒がどこからきたのか、水をくんだ召し使いたちは知っていた」神の祝福は、主イエスの働きをする者達の上に大胆に現されるのです

そして「その栄光を現された。それで弟子達はイエスを信じた。」祝福を頂いた新郎新婦が信じたのではない。そこに招かれた者が信じたのでもない。「弟子達が信じた。」のです。

神様の救いを受ける人は、必ずしも、奇跡を行って貰った人たちだけじゃないのです。「指示され水をくんだ召し使い達」「選ばれ付いて行く弟子達」に神の栄光は現され、信じる力が与えられるのです。


 


 


投稿者 : church 投稿日時: 2012-03-04 05:53:45 (1254 ヒット)

本日の聖書  ヨハネによる福音書4:23

「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」

宣教題 「ありのままの告白」   牧師 新保雅雄

主イエスは、弟子達とガリラヤへ向かう途中、サマリアのシカルを通りかかりました。 弟子たちは、食べ物を買うために町に行き、主イエスだけが、ヤコブの井戸と呼ばれる井戸に一人残りました。

そこへサマリア人女性が、井戸の水をくみに来ました。正午ごろは、一日の内で最も暑い時です。通常は、この暑い時間帯を避け、朝か夕方の涼しい時に井戸の水をくみに来るものです。しかしこの女性は、人のいない時に水をくみに来たのです。つまり彼女には、人目を避けなければならない理由があったのです。

主イエスは、この女性と言葉を交わして、私が誰だか知っているならば、「あなたの方から、私に頼み、私は、あなたに生きた水を与えただろう」「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

サマリアの女性は、主イエスが言われる、生きた水を求めました。すると主イエスは、「あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われました。そこで、この女性は、人目を避けなければならない自分の罪深さ、過去に5人の夫がいた。現在も結婚していない男性と同棲している。人目を避ける闇を「ありのまま」に告白したのです。

ここに主イエスの言われる「霊と真理をもって神を礼拝する者」の姿があります。「霊をもって礼拝する」とは、聖霊に導かれて礼拝すること、「真理をもって礼拝する」とは、神の御前に、私たちが「ありのまま」を告白することです。

サマリアの女性が、主イエスに自分自身を「ありのままに告白」したように、神の御前に、私たちが素直になって、正直にありのままの姿をさらけ出すとき、本当の救いが訪れるのです。 


投稿者 : church 投稿日時: 2012-02-26 06:50:38 (1305 ヒット)

本日の聖書 ヨハネによる福音書2章19〜21節 

「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか。』と言った。イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである。」

宣教題  『御国を取引する者』  牧師 新保雅雄

ユダヤ人にとって最も大切な過ぎ越しの祭りが近づいてきた。地方や外国からも沢山の人々が、エルサレムの神殿へと上京してくる。

主イエスも弟子たちと共に神殿に入られた。そこには、神に献げる献げ物を売る商人、神殿に献げるお金を両替する両替商達の群れがあり、それを買い求め満足する人々、そしてそれを行うことで、神の祝福があると説教する祭司達。神殿は沢山の人で賑わっていた。

主イエスは、その様子をしばらく見ておられた。そして両替商達の台をひっくり返しお金を撒き散らし、献げ物に売られている動物を逃がしてしまった。主イエスは「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」と言われたのです。

物やお金を献げることで満足する人々。またそれを公然と当たり前に教える祭司達。罪の赦しを得、御国での永遠の命の保証を受ける。

そして物、金を惜しげもなく献げる。満足を金で買う者。満足を物で売る者。この情景は、わたしたちの周りにも腐るほどある宗教と言われるもの、それに群がる人々の関係に、少しも変わらない。神の家が世俗的な現世ご利益の宗教に、なり下がってしまっている。

こんなに私は献げ物をしたから満たされるだろう。御国が売り買いされる取引の場になってしまっている。宗教を行っているのに、神は何をしてくれるのか?まさしく神殿の崩壊である。

主イエスが三日で建て直すと言われた神殿とは、十字架による死からの復活、永遠の命のことである。私たちが見えることへの満たしから、私たちの心の中に居られる永遠の宮なのです。弟子達は、聖霊で満たされた時、このことを思い知らされたのです。

 


投稿者 : church 投稿日時: 2012-02-19 07:34:50 (1343 ヒット)

本日の聖書 マルコによる福音書16:20 

「弟子達は出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実である事を、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。」

宣教題 「インマヌエル何度でも起き上がろう」 牧師 新保雅雄

へブル語インマヌエルは、「主が共におられる」とう意味です。主イエスは、インマヌエル、私たちと共におられ共に働いて下さる。

インマヌエルの主イエスを信じている。しかし、悩み、苦しみ、迷いがなくならない。人生が上手く行かない、何をやっても失敗してしまう。何処かに間違いがあるのでしょうか。間違った信仰、不信仰なのでしょうか。これは主が共におられないからなのか。

決してそうではありません。インマヌエル、主イエスが共にいて、共に働いてくださっているから、私たちは、失敗しても悩み苦しみがあっても大丈夫なのです。絶望する必要は無いのです。主イエスが共にいてくださるから、また、やり直せば良いのです。

今の社会は「勝ち組負け組」ということがよく言われます。でもいいのです、負けたって、失敗したって、社会があなたを見捨てたって、それでも神は、あなたを愛してくださるのです。

失敗したことのある人、心に痛みを持っている人、神に従い切れない自分の弱さを知っている人は、強められ、慰められ、勇気と力を与えられます。転んでも支えられます。また立ち上がれるのです。

世で成功することだけにとらわれてはいけません。誰でもつまづき転び苦しみ悩むときがあります。そのときに立ち上がれるかが大切なのです。何度転んでもいいのです。七転び八起きです。

あなたの周りに傷ついている方が居られたら、神様の愛のお話を、また自身のお証しを語ってあげてみて下さい。悲しみの顔が希望の顔に変わるのを見るでしょう。それがインマヌエルのしるしです。




 


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