2013年6月23日「新しい契約」

投稿日時 2013-06-23 06:41:26 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 エレミヤ書31章34節

「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」


宣教題 「新しい契約」      北村 紀一

聖書が私たちに伝えていることは、「主により頼む」ことだけです。そのように主を一番にして生かされてきた先輩たちの「信仰」にならうことです。

それにも拘わらず、イスラエル、ユダ王国の王たちの中には、偶像礼拝の罪を犯すものがあとをたちませんでした。権力をもつ立場がそうさせてしてしまうのか、国のリーダーが神様を忘れ、神様を侮り、本来の役割を忘れてご利益を求めてどんな神でも節操なく拝むようになれば、そのような風潮がやがて人々の間に蔓延して、その国は堕落してしまうわけです。

私たちは国の王様ではないから関係ないと思うかもしれませんが、実にわたしたちは王なのです。自分という国を与った王なのです。だから、主を一番にしない生き方をするとき、自分が堕落してしまうわけです。

こうして、信仰の継承をしていたはずのユダ王国は、主から離れてしまって、自滅へと向かっていきました。アッシリアの後に興ったバビロン帝国によって滅ぼされ、人々はバビロンの領地へと強制移住(バビロン捕囚)させられました。

本当に人間は弱いものであることを痛感します。ところが、神さまから離れて、人々が絶望のどん底に陥ったとき、エレミヤは一転して、主による救いの預言を語り始めました。私たちの心に主が語りかけても、私たちは聞く耳がなかったのに、どん底に落ちた時に、耳が開かれることがあります。そのように本当に頼りになるもの、本当の救いは、どん底に落ちた時にこそ見えるのかもしれません。

人は自分の罪の報いを受ける、しかし、罪を裁くべき神様ご自身が、もはやその罪を責めはしないというのです。私たちは神様を忘れていたかもしれないが、神様はあなたのことを、一日たりとも忘れたことはない、変わらず、あなたを愛して待ち続けていて下さる、この約束こそ、新しい契約だ、とエレミヤはいいます。神様は、この約束を、一人ひとりの心に直接書き記して下さる、胸の中に与えて下さる。主は私たちをどん底に落とすことを望んでおられるのではなく、私たちがいつも、本当の幸せに向かうこと、そのために成長することを望んでおられるのです。主の十字架、憐れみ深い主の愛に感謝します。


 


 






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