2013年5月26日「信仰再建」

投稿日時 2013-05-26 06:49:40 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 

「ヒゼキヤは二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。」


宣教題 「信仰再建」      北村 紀一

ヒゼキヤにとって父祖であるダビデに与えられたビジョンは何だったでしょうか。それは、神様を礼拝する神殿の建築でした。なぜ、ダビデは、神殿建築を目標として与えられたのでしょうか。それは、神さまへの信仰に立った国創りのためです。これが教会の原点です。ダビデは信仰によって神さまから「ビジョン」が与えられ、そのための計画も目的もはっきりしていました。常に聖書は、神さまへの信仰に立った国創りを目指すときに、祝福で満たされています。

ところがヒゼキヤの父であるアハズ王は、(歴代誌下28:1)偶像を持ち込んで、神さまから遠く離れてしまいました。結果、南ユダ王国は、いつアッシリアに滅ぼされてもおかしくないボロボロの状態となったのです。そんな状態の時に、ヒゼキヤは王となりました。信仰の人であるヒゼキヤは主の目にかなう王であったと言われるように、信仰によって、すぐにユダ王国再建にとりかかりました。

1つ目は、ヒゼキヤはダビデの信仰に倣い、神さまへの信仰に立った国創り、そのために礼拝をささげる神殿を清めました。つまり宮清めをしました。それは偶像をすべて取り除くことでした。偶像は神さまを一番にしないもの、自分を正当化するためのものなので、持ち込みたくなるものですが、それを取り除きました。

2つ目は、清めた神殿でいけにえをささげました。いけにえとは、罪を赦していただくために献げるものです。今の私たちに当てはめるとイエス様がわたしたちの罪を赦してくださるために、いけにえとなってくださった。イエス様の命に代えて、私たちを生きるものとしてくださったことをしっかり、心にとどめることです。いけにえをささげることは、どんな時も、主よ〜と主を一番にした生き方を目指すことです。

宮清めをする、いけにえをささげる、これがヒゼキヤが行ったことです。このように主の信仰に立った教会づくり、信仰生活を心掛けていきたいものです。

私たち一人一人の必要をすべてご存知の主が言われます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)


 






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