2012年11月18日「休ませてあげよう」

投稿日時 2012-11-18 06:39:04 | カテゴリ: 礼拝説教要旨

本日の聖書 マタイによる福音書11:28〜30

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」


宣教題 「休ませてあげよう」   牧師 新保雅雄

私たちは人生を生きる中で、疲れて何も出来そうにないときがあります。こんなに一生懸命に努力しているのに「こんな筈ではなかった、どこで間違えたのか」と、思わず愚痴りたくなる時があります。

いつも時間に追われ、仕事にも追い掛け回され、また家庭に帰っても沢山の問題が、私たちの背中に覆いかぶさって来るようです。口から出て来る言葉が、「疲れた」とか、「休みたい」という言葉ばかりであることに気が付く。ここから逃げ出したい、そう思う。

そんな私たちに主イエスは、言われる、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」では主イエスは、どのようにして私たちを休ませ、重荷を取り除いてくださるのでしょうか? 29節「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と言われる

「軛」とは、牛の首にあてる木です。この軛を引いて荷物を引かせたり、土を耕したりするのです。つまり、牛の自由を奪い働かせるための道具です。私たちも「この世の軛」を首に掛けられて自由を奪われているから、苦しんだり、悩んだり、心が疲れたり、重荷を負ったりするのです。「休む」とは、そういうこの世の重荷という「軛」が、なくなること、自由になることが休まることなのです。

しかし主イエスは、この世の軛の代わりに、私の軛を首にかけなさいと言われます。軛がなくなるのではなく、新たに主イエスの軛を追いなさいとは、何なのでしょうか? それが十字架の愛なのです。あなたを世の束縛から解放するために、主イエスは十字架にかかり、あなたに自由を与えてくださるのです。軛という愛なのです。

 どうか人生に疲れ一杯ゞになったら、主イエスのもとへ。

 






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