「神の愛は、そのひとり子の血を流し、私たちの罪を帳消しにしてくださるほど大きいのです。この愛によって私たちは救われました。」(エペソ人への手紙 1:7 JCB)
『きんたくんと きこえる こころ』
ある日、きんたくんは、胸の中がふうっと軽くなるのを感じました。それは、だれかが自分の話を、じっと、やさしく、さいごまで聴いてくれたから。
「なんだか、うれしいな…」そう思ったきんたくんは、「ぼくも、だれかの話を聴ける人になりたい」と思いました。
でも、まわりを見わたすと、みんな笑っているようで・・・.その笑顔の奥に、見えない重たいカバンをしょっていることに気がつきました。
「どうして、そんなに重そうなの?」ときんたくんがたずねると、みんなはちょっと笑って、「だいじょうぶ」と言いました。
でも、ほんとうは——「ひとりでがんばらなきゃ」「こんなこと、だれにも言えない」「ぼくなんて、きっとだめだ」そんな声が、心の奥でささやいていたのです。
そのとき、ふわりとあらわれたのが「お助けマン」。お助けマンは、何も言わずに、そっととなりにすわって、うんうんと、うなずきながら、みんなの話を聴いてくれました。
きんたくんも、となりにすわってみました。でも、心の中では、こんな声が聞こえてきました。「ぼくだって、ほんとうは重たいんだ」「どうしても、うまくできないことがある」「イエスさまのこと、信じてるのに、すぐに目の前のことでいっぱいになっちゃう…」
そんなとき、きんたくんは思い出しました。エペソ人への手紙1:7に書いてあったこと。「このキリストにあって、私たちは、その血による贖い、すなわち、罪の赦しを受けています。」
「そうだ…イエスさまは、そんなぼくのために、十字架にかかってくださったんだ」「ぼくは、もう赦されてる。救われてる。だから、信頼してお任せすればだいじょうぶなんだ」
そのとき、きんたくんの心に、ぽっと小さな光がともりました。それは、だれかの話を聴くときにも、自分の弱さに向き合うときにも、そっと照らしてくれる、イエスさまの光でした。
きんたくんは、今日も思います。「ぼくはまだ、すぐに迷っちゃうけど、それでも、イエスさまの赦しと救いを、もっと深く知って、だれかと分かち合えるようになりたいな」
そして、またひとつ、やさしく耳をかたむけるのでした。
「神の愛は、そのひとり子の血を流し、私たちの罪を帳消しにしてくださるほど大きいのです。この愛によって私たちは救われました。」(エペソ人への手紙 1:7 JCB)
まず神さまに心を向ける練習をし続けていきましょう。あなたは神さまに愛されています。あなたの存在を感謝いたします。今日も一日主の祝福が豊かにありますように。
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